42歳でフリーの女装家に転身した肉乃小路ニクヨさん。小学校時代はコミュ障、陰キャで肥満体型。小学5年生でゲイを自認してから、辿り着いた自己防衛策が「不思議ちゃんキャラ」を演じることだったそうでー。(全3回中の1回)
小3からは新聞を愛読し、興味は株価とプロ野球
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── 慶應義塾大学在学中に女装をスタート。その後は金融業界でキャリアを積みながらショーガールやゲイバーのママとして二足の草鞋をはき、42歳でフリーランスの女装家に転身。現在は、コラムニストとして活躍する異色の経歴の持ち主、肉乃小路ニクヨさん。お金のプロとしてメディアでの発信も多いニクヨさんですが、小学3年生から新聞の株式欄を熟読されていたと知り、驚きました。どんな子ども時代を過ごされたのでしょうか?
肉乃小路ニクヨさん:10代までは、かなりのコミュ障だったんです。お友達が少なかったので、学校から帰るとテレビをずっと見て過ごしていました。新聞を読むようになったのは、家にあるいちばん身近な読み物だったから。おこづかいをあまりもらっていなかったので、漫画は姉が買ってくる『りぼん』や『なかよし』を読む程度でした。
新聞を見ると、テレビCMで名前を知っているような会社が、株価という数字で評価されて、日々その価値が変わっていく。そこにおもしろさを感じて毎日チェックするようになり、「お母さん、この株買えば?」なんて言っていましたね。
── かなり大人びたお子さんだったのですね。
肉乃小路ニクヨさん:もともと親族が商売をしている家系だったので、お金に興味深々だったんですよ。うちの親は私をあまり子ども扱いせず、お金の相談をしたりしていたので、私も自分が子どもだという自覚があまりなくて。ほかにもプロ野球が好きで、スポーツ面を熟読していました。
── ニクヨさん自身は野球少年だったのですか?
肉乃小路ニクヨさん:いえ、肥満児で運動は苦手でした。ただ私たちの世代は、同級生の男子との共通の話題としてプロ野球の話をするのがいちばん手っ取り早かったんです。姉が2人いたこともあって、女子と話すほうがラクだったのですが、昭和の男子が女子とべったり仲良くするわけにもいきませんから、プロ野球の話題が男子との唯一の接点でした。
とはいえ、野球そのものが好きというより、興味があったのはもっぱら球団や選手のお金事情。儲かっている球団とそうでない球団の違いはどこにあるのか。選手はどれくらいの成績を残せば、どれくらいのお金がもらえるのか。打率や勝率、ホームラン数や観客数などの数字や、プロ野球のオフシーズンに行われる選手の契約更改や移籍などのお金がらみの話題を見て、「選手の年棒を決めるのも数字が大事なんだな」と知り、おもしろいなと思ったんです。私にとっては、お金について学べるいい教材がプロ野球だったということなのでしょうね。
── 目のつけどころがスゴイ…。
肉乃小路ニクヨさん:ただ、テレビや新聞を見るのに忙しかったので、小6までほとんど勉強をしていなかったんです。ところが地元の公立中学が、当時、千葉県でワースト3に入るくらいヤンキーが集まる学校だと知って、中学校に通うのが怖くて怖くて…。慌てて中学受験に挑んだものの、準備不足で失敗。せめて、肥満が原因でいじめられないようにと、小6の冬に急激なダイエットに挑み、肥満児から「ぽっちゃりさん」くらいになりました。