母とは3歳で死別。父は破天荒であまり家に帰ってこなかったと語るお笑い芸人のすがちゃん最高No.1。祖父母と叔母の5人で暮らしていた実家にある日、玄関から激しい口論が聞こえ ──。(全3回中の1回)

大企業の社員だった父がどんどん謎の仕事に手を出して

すがちゃん最高No.1
舞台前のすがちゃん最高No.1

── 高校を卒業するまで地元山形に在住。祖父母と父、叔母(父の妹)のかっちゃん、すがちゃんの5人で暮らしていたそうですね。すがちゃんは学校と家ではキャラクターが違ったと伺いましたが。

 

すがちゃん:小学校低学年くらいまでは、学校では1日1個ダジャレを言うような明るいキャラクターでしたが、家の中ではおとなしかったですね。父はたまにしか家に帰ってこなかったし、家族も毎日のようにケンカしていたから、家ではあまりしゃべろうと思わなくて。母は3歳のときに亡くなっているので、しゃべった記憶がほとんどないです。

 

── お父さんは個性豊かな方だったそうですね。

 

すがちゃん:個性豊かというか、破天荒でしたね。僕と一緒に電車に乗っていても女の子をナンパしていたし、生き方もかなりハード。僕が小学生になるくらいまでかな。父はもともと大手自動車メーカーの会社員で、成績がよくて会社でも賞をもらうくらい優秀だったらしいんですけど、社用の携帯でエッチなお店に電話しすぎて、携帯代が30万を超えてクビになるっていうね。その後、ありとあらゆる謎の仕事に手を出したのですが、一度も成功したことがないんですよ。いつも「日本を揺るがすようなビックビジネスをする」って言ってるだけで、借金ばかりかさむんです。

 

ただ、親父のことを知ってる人に聞くと、みんながみんな「とにかく優しい」と言っていて。たしかにコミュニケーション能力が高くて友達も多い。めっちゃ人がいいから、ちょいちょい騙されて借金もできてしまったと思うんですけど。結局、父の仕事が不安定になって家計はだんだん苦しくなっていきました。

 

── お父さん以外のご家族はいかがでしたか?

 

すがちゃん:僕とおじいちゃんは冷静なタイプでしたが、おばあちゃん、叔母のかっちゃんは、感情がわりと出やすかったですね。たとえばテレビを見ているとき。おばあちゃんは、冬なのにノースリーブでテレビに出てくる人にすごく怒るし、なぜかダテメガネの人にもキレてました。叔母のかっちゃんは、僕にとって精神的支柱で生活も支えてくれましたが、すごくこだわりが強かったです。飲み物は少しでも添加物と言われるものが入っているとすべて却下。あと、性に関してもすごく厳しくて、たとえば、当時テレビのロードショーでエッチなシーンが出てくると、取り乱すくらいNG。僕からしたら、年頃の子どもがいるからスッとチャンネル変えるのはわかるんですけど、取り乱すってなんだよ。「見ちゃダメ!」ってそっちの方が恥ずいし。