頼りにした担任がとった行動に「耳を疑った」
── 学校の先生に相談されましたか?
なだぎさん:自分から直接言うことはなかったです。これ以上周りに知られるのも嫌だったし、ことを大きくしてほしくなかった。大事になればなるほど余計にいじめられるんじゃないかって恐怖心もありましたしね。
それでも、担任の先生にはSOSは態度で出していたと思うんですが、まさかの先生が生徒と一緒に僕をイジってきたんですよ。たとえば、修学旅行に行ったとき。みんなでハイキングしていると、先生みずから『山賊の歌』の替え歌で「なだぎはデブ〜」と歌い出して、周りの生徒たちも先生に合わせて「なだぎはデブ〜」って輪唱していて、一瞬耳を疑いました。学校という狭い場所で助けてくれる大人って先生じゃないですか。その大人がこんな感じなら誰に助けを求めてもダメだなって諦めが強くなりました。
気をやわらげてくれる人はいましたけど、頼る友達はいなかったし、いじめが終わる行動までとってくれた人はいなかった。僕をかばったら自分に火の粉が飛んでくるから当然なんですけど。そうなると、自分が我慢してたらええわって境地になってくるんですよ。誰も助けてくれないなら自分が我慢するしかないって。
── ご両親に相談することはありましたか?
なだぎさん:なかったですね。親にも悪いし、心配させたくない。あと、親に話したらどうやっても学校にも連絡がいくでしょうし、さらに話が大きくなって、ますます学校に行くのも嫌になるだろうし。学校で殴られてけがをした日も、なるべく親に見られないよう自分の部屋にすぐ行きました。僕、小学3年生くらいから自分の部屋でご飯も食べていたので、親に見つかるタイミングがあまりなかったというか。
まぁ、今思えば、絶対気づいてたと思いますけど。おかしいなと思ってたんですけど、聞かれることはなかったです。あんまり詰めても僕が反発するだけだろうし。たしかにそうなんですよ。「大丈夫?」って聞かれても「大丈夫」って言うしかないんですよ。それでも学校を休むことはせずに、3年間どうにか通い続けました。学校に対して夢も希望も持てないまま、自分の存在を消すことに終始したんです。
その結果、人と関わることが嫌になり、次第に引きこもるようになっていきました。
PROFILE なだぎ武さん
なだぎ・たけし。1970年生まれ、大阪府出身。お笑いタレント、漫談家、俳優としても活躍。R-1グランプリで2007、2008王者。
取材・文/松永怜 写真提供/なだぎ武