ハリウッドザコシショウさんと同率最年長の42歳で「R-1グランプリ」で優勝を果たしたアキラ100%さん。「40歳で売れないお笑い芸人はやばい存在」だと義両親らにも活動を隠しながらも、ブレイクを夢見て駆け抜けた40代が今の活躍に繋がっていました。(全4回中の3回)

「このままではダメかもしれない」

アキラ100%
お盆ネタで大ブレイク!

── 代名詞ともいえるお盆のネタをきっかけに、テレビ出演が増えました。

 

アキラ100%さん:そうですね。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』という番組にある、毎年新年会で新人芸人がネタを見せる「山-1グランプリ」に2015年に出演してから、立て続けにネタ番組に出させてもらえるようになりました。コンビ時代もピンになってからもそんなことは一度もなかったので、「こんなに出してもらえるなら、このネタに賭けてみてもいいのかな」と思ったんです。それからは、すべてのネタを捨て、「裸にお盆」に全ベットしてネタを作っていましたね。

 

2015年は「これはいける」という手ごたえがあったのですが、人は裸にも慣れるもので、最初の衝撃はなくなってきて。2016年になるとネタ番組に出させてもらうことが減ってきたんです。芸人仲間からも「ほかのネタもやってみたら」と言われましたし、「このままではダメかもしれない」と思いました。きつかったですね。

 

── ブレイク後も悩んでいらっしゃったのですね。

 

アキラ100%さん:当時はまだアルバイトを続けていましたし、芸人はいつやめてもおかしくない状況でした。でも、ここまできたらもうやめどきもわからない。「売れたい」という未練もあって、どうしてもやめられませんでした。

 

それに、一般社会では「40歳で売れていない芸人」ってだいぶ「やばい」存在だと思いますけど、うちの事務所には同じくらいの年齢で売れていない芸人がけっこういたんですよ。錦鯉さんとか。みなさんネタもおもしろいし、一緒にお笑いの話をするのも楽しかった。売れない時期も芸人を続けられたのは、環境や仲間の存在が大きかったですね。

 

たまたま2016年の年末に『笑ってはいけないシリーズ』に原田龍二さんと一緒に出演させてもらったんです。もう一度フィーチャーしてもらって幅広い層の人たちに知っていただけて、翌年の「R-1グランプリ」につながった感じです。運が運を呼んでくれました。

心配していた父には優勝を見せられなかったけれど…

アキラ100%
「R-1グランプリ」優勝当日、劇場に凱旋したとき

──「R-1グランプリ」で優勝されたときの心境はいかがでしたか。

 

アキラ100%さん:いやもう「R-1グランプリ」の優勝は人生の到達点のひとつというか、ピークのひとつですね。優勝を実感したのは、アルバイトを辞めさせてもらったときです。大学卒業してから42歳までの20年、ずっとアルバイト生活をしていましたから。お笑いの給料だけでやっていけることがうれしかったです。

 

── 42歳での優勝は最年長だとか。

 

アキラ100%さん:前の年に同じ事務所のハリウッドザコシショウさんが42歳で優勝されたので、同率最年長ですね。40歳で結婚して自分の人生だけではなくなっていたから、なおさらよかったと思いました。

 

── それまでご家族も心配されていたのでは…。

 

アキラ100%さん:妻とは35歳のときに出会って以来、「いつまで芸人を続けるの?」というようなことは一度も言われなかったですね。結婚したときもまだアルバイトをしていたのですが、義理のお父さんとお母さんに挨拶に行ったときは、あたかも定職についているような言い方をしました。ひどいな。

 

義理の両親にも自分の両親にも、お笑いをやっていることは話していなかったんです。「仕事をしながら、舞台をやっている」と伝えていたので、テレビでお盆芸を見たときは驚いたんじゃないでしょうか。うちの実家では「どうしちゃったの?」という感じだったみたいです。義理の両親は「R-1グランプリ」をテレビで見て喜んでくれていたそうなので、よかったです。

 

実の父は2016年にがんで亡くなってしまったので、「R-1グランプリ」の優勝は見ることができませんでした。35歳くらいまで実家に住んでアルバイト生活をしていた僕のことを心配して、「ちゃんと働け」「スポーツクラブで正社員にしてもらえないのか」といつも言っていましたね。最期は自宅で、母と兄に看取られて亡くなりました。僕は知らせを受けて顔を見に帰って、そのあと営業が入っていたのですぐに仕事へ向かいました。今の姿を見たら安心してくれたかもしれません。