バラエティ番組などで活躍するタレントの浜口順子さん。幼いころに1万人に1人の難病「若年性特発性関節炎」を発症し、約10年間にわたって入退院を繰り返しました。(全4回中の1回)
「白血病の疑い」と診断されて…
── 3歳のときに、「若年性特発性関節炎 」を発症したそうですね。当時のことをどのように記憶していらっしゃいますか?
浜口さん:まだ小さかったこともあり、発症したときのことはよく覚えていないので、母に聞いた話になりますが、3歳だった私がある日、突然40度を超える高熱を出したそうです。足を痛がり、歩き方もいつもと違っていたため、地元の大きな総合病院に受診したのですが、最初は「白血病の疑い」と診断されて…。その診断名にショックを受けた母は「娘は助からないのでは」と、病院で唖然としたと聞いています。
── 症例が少ない病気だったこともあって、正しい診断名がつくまでに時間がかかったのですね。
浜口さん:そうですね。私の症状が白血病の初期症状と似ていたところもあったため、この診断名がついたんだと思います。その後、1万人に1人の発症率と言われ、国から難病指定を受けている「若年性特発性関節炎」だとわかりました。当時は「若年性慢性関節リウマチ」という名前でした。
── どのような治療を行ったのでしょうか。
浜口さん:ひたすら鎮痛剤で痛みを抑えるという、対症療法でした。私の場合、季節の変わり目に強く症状が出てしまい、夜中になると高熱が出て、歩けなくなるほどの激痛に襲われたので、当時は入退院を繰り返していました。幼稚園の年少、年中と小学1年生のころがもっとも症状が重く、長期間入院することもありました。
── 闘病中、大変だったことやつらかったことを教えてください。
浜口さん:特につらかったのが、「体のこわばり」です。朝には熱が下がるのですが、体がこわばって関節が固まってしまっているため、指一本から少しずつ体を動かしていかなければいけません。これが激痛で…。病院でのリハビリも、曲がってしまった関節を伸ばしいくというもので、痛みとの戦いでした。
このころの母は、「大人になるまで治らずに、一生この病気とつき合っていくのでは」と強い不安を感じていたそうです。
── 入院中はどのような思いで過ごしていたのでしょうか。
浜口さん:私の病室には、末期の小児がんの子もいて、子どもながらに死に直面していることを感じていました。そのため、自分もつらいけれど「痛い、しんどい」と言えず、ひたすら我慢しながら過ごしていたことを覚えています。それから、面会時間が終わって自転車で帰っていく母親の姿を、病室の窓から見送っていたこともよく記憶しています。
── 寂しさや痛みを堪えながら過ごしていたのですね。
浜口さん:入院中の楽しみは、母と一緒に外出することでした。母が病院に外出届を出してくれて、本屋さんや公園に行くことがありました。7歳の誕生日を迎えた日も、外出の許可をもらい、新しいピンク色のドレスを着て、お寿司屋さんへ。味の薄い病院食で、「しょっぱいものが食べたい!」と感じていたんです。
しかし、お寿司屋さんで突然発熱し、激痛に襲われて「痛い!痛い!」と泣き叫ぶ私。痛みで歩けなくなり、さらに、薬をたくさん服用していた影響で、尿意を我慢することができず、お漏らしまでしてしまい…。新品のドレスを汚し、食べたかったお寿司も食べずじまいでした。
この日のことを振り返った母が、「濡れたドレスを着替えさせながら、『もう無理』と心が折れかけた」と言っていました。歩けなくなった私をおんぶして、大荷物を抱えながらなんとかタクシー乗り場まで向かったそうですが、周囲からの視線もつらかったそうです。
一冊の本との出会いが、気持ちを前向きにさせた
── 当時、ご自身の病気をどのように受け止めていたのですか?
浜口さん:物心ついたころから入退院を繰り返していたので、「私はこういう体なんだ」と受け止めるほかありませんでした。医師からも「原因不明」と言われており、受け入れるほかどうしようもなかったように思います。
しかし、両親は「自分たちを責めた」と話していました。何かしらの生活習慣や食生活など、「自分たちがよかれと思ってやったことが、娘の病気の引き金になったのでは」と考えてしまったそうです。神頼みをしたり、霊媒師を呼んでお祓いをしたり「やれることはなんでもやった」と言っていました。
── 闘病中の支えになったものがあれば教えてください。
浜口さん:小学4年生のとき、本屋さんで何げなく手に取った一冊の本が、その後の人生の大きな励みになってくれました。清水宏子さんという方が書いた『やさしさの坂道』という本なのですが、私と同じ病気を患っていた清水さん自身の闘病の様子が描かれていて。
それまで私と同じ病気の人と出会ったことがなかったため、偶然その本を手に取ったことに運命を感じたほどでした。清水さんは、病気を抱えながらも車椅子で社会に出て、仕事をしていました。「もし病気が治らなくても、清水さんみたいに社会に出て働けるんだ…!」と自分の将来に可能性を感じたことを覚えています。
その本と出会ってからは、「病気と戦っているのは自分だけじゃない。クヨクヨしていられない」と前向きに気持ちを切り替えられるようになりました。