妻を亡くして10年経つダンカンさん。この10年間を振り返り「何も変わらない。後悔しかない」と語ります。(全3回中の3回)

妻が亡くなり、家のことも最初は戸惑ったが

── 2014年に妻の初美さんが亡くなって10年。当時、長女と長男は20歳を超えて社会人になっていましたが、次男・虎太郎さんは高校1年生だったとのこと。ダンカンさんは、初美さんが亡くなってから料理や洗濯もいちから始めたそうですね。

 

ダンカンさん:それまでまったくやってこなかったので、何をどうしたらいいんだろうって最初は戸惑いましたよ。料理にしても、家のご飯だけじゃなくて、虎太郎の弁当作りもあったし、野球部に入っていたから、朝練に間に合うようにお弁当もふたつ持たせてさ。

 

ダンカンさんが作ったお弁当

── お料理やお弁当はこだわったそうですね。

 

ダンカンさん:フランス料理からスペイン料理、トルコ料理までなんでも作りましたよ。近所に材料がなければ明治屋とかに行って、調理器具も浅草の河童橋まで買いに行ったしね。なぜかうちにジンギスカン鍋もありますし。あと、アフリカ弁当みたいなのも作ったかな。とうもろこしの粉を買ってきて練ったりしてね。はじめは見よう見まねだったところから、作ってるうちにだんだん楽しくなってきたんです。そのときそのときによって、たとえばワールドカップをやっていたら相手チームの国旗にするとか、いろいろこだわりはじめて。子どもたちも好き嫌いなく食べてくれましたね。

 

── 洗濯も大変だったとか。

 

ダンカンさん:野球部って日が暮れるまで練習して、泥だらけになって帰ってくるじゃないですか。手洗いじゃないと落ちない汚れもあって、しかも次の日の朝練までに乾かさなきゃいけないからね。最初は慣れてないからなかなかきれいに落とせない。洗濯板も買ったりしたんだけどなかなかね。でも、2、3か月続けてると「もしユニホームをきれいにしたら子どもがヒットを打つんじゃないか。エラーしないんじゃないか」って思うようになってきて、それならもっときれいにしてやろうって思って。

 

そんなときママリン(初美さん)が自分の中にスッと入ってきた感じがしてさ。ママリンはずっとこういうことをしてきたんだなって思ったし、母親がいなくなって虎太郎に不憫な思いをさせてしまったら、天国にいるママリンが悲しむだろうなって思うと、よけいにちゃんとやろうって思ったよ。

 

そういうのも、もっと健康なときに気づいてあげれば全然違ったんだろうなって。でもやっぱり当時は気づかなかったよね。