日本初の「プラスサイズモデル」としてポジティブにファッションを楽しむ姿勢が共感を呼ぶ桃果愛さん。7年前まで看護師の仕事をこなしながらモデル活動を続けてきた桃果さんですが、看護学生時代はハードな実習からうつ病にかかり、視線恐怖症になったことがありました。(全2回中の1回) 

小学校に全身ピンクの洋服で登校

桃果愛さん
モデルの桃果愛さん

── 子どものころからファッションはお好きだったのですか?

 

桃果さん:そうですね。幼少期からずっとファッションが大好きで、小学生のころは毎日のコーディネートを自分で考えていました。けっこう奇抜なチョイスで、全身白やピンクの日もありました。母がエステサロンを経営していて、華やかなファッションが好きだったので、影響されている部分はあるかもしれません。全身黒といった洋服はいっさい着ない母でした。

 

── 大学では看護師の勉強をされていたそうですね。看護師を目指し始めたのはいつごろから?

 

桃果さん:実は看護師ではなく、臨床心理士になりたかったんです。 臨床心理士になるには大学院まで進学する必要があったので、まず大学ではカウンセリングにも通じる医療の道を学ぼうと看護学科に進みました。自分が幼いころ、扁桃腺が腫れてよく熱を出す子どもだったので、看護師さんに対する憧れも少しあったのだと思います。大学院まで行って臨床心理士になるのが大変だったとしても、看護師なら手に職がつけられるから生活に困らないだろうという気持ちもありました。

 

── 手に職をつけたほうがいいというのはお母さんからのアドバイスですか?

 

桃果さん:そうですね。私は母子家庭で育ったのですが、子育てしながらエステサロンを経営し始めたころはすごく大変だったと母から聞いていました。なので看護師のように手に職があったほうが将来的に困らないだろうという気持ちはあったようです。母は「自分の人生だから自分の好きなように生きなさい」という人でした。「勉強しなさい」と言われたことはほとんどなくて、人とのコミュニケーションや関係性を大切にしなさいという教育方針でした。

 

── お母さんが起業されているので、後にご自身も起業することへの抵抗感が少なかったでしょうか?

 

桃果さん:そうかも知れません。両親は私が1歳のころに離婚しましたが、父も大阪でエステサロンを経営していますし、自営業が多い家系なんです。会社員より自分でやりたいことをするほうが身近でしたし、自分の将来像として描きやすかったと思います。離婚はしましたが、父とも会っていましたし、親子関係は良好でした。

ある日突然、玄関から出られなくなった

桃果愛さん
うつ病の薬の副作用で30kg増え、人生のピーク体重を記録したころ

── 看護学生時代にうつ病にかかった経緯を教えてください。

 

桃果さん:大学3年生の終わりごろにうつ病になりました。看護大学の3年生は、1年間ずっと病院で実習をするのですが、それがすごくハードなんです。実習期間中は毎日レポートなどの提出物があり、帰宅してからそれをこなしていると、睡眠時間は3時間程度。また、その当時のことなのですが、実習先の看護師さんが学生にやさしくする余裕がないのか、あいさつしても返事がなく、今でいうパワハラ的な冷たい態度を取られることがあって…。看護師のイメージが大きく崩れて衝撃を受けました。

 

そんな実習のストレスと睡眠不足が重なって、ある日突然、学校に行けなくなったんです。本当に突然、玄関から足が一歩も進まず、ドアを開けることができませんでした。最初は1日、2日休んだら元気になるかなと思ったのですが、日が経つほどに外に出ようという気力がなくなりました。大学の単位はギリギリたりていたので進級はできそうでしたが、母が私に無理をさせたくないと言ってくれたこともあり、1年間休学することになりました。

 

──「無理をさせたくない」と休学をさせてくれたお母さんが素晴らしいですね。

 

桃果さん:私自身も、無理をすれば学校へ行けるかもしれないけれど、厳しいなと思っていたので、母の申し出がありがたかったです。医療系の大学なので休学費用も安くはなかったのですが、私の体調を優先してくれたことに感謝しています。

 

── 休学中の1年間はどのように過ごしていたのですか?

 

桃果さん:ほとんど家の中に引きこもって生活していました。トンネルの中にずっといるような感覚で、もがき苦しんでいた思い出しかないです。外に出たいとも、遊びに行きたいとも思えないし、自分の部屋に布団を敷いて横になり、電気を消して過ごすのがいちばんラクでした。心の病なのに、こんなに体が動かなくなるんだと思いました。心療内科の病院には通っていて、薬を飲みながら少しずつ減らして体調を整えていこうという治療でした。1年の終わりごろには徐々に外にも出られるようになり、1年後に復学しました。

 

桃果愛さん
看護師として働いていたころ。病院のイベントで

──「1年間の休学明けたら戻れるようにしなくちゃ」という焦りはなかったのですか?

 

桃果さん:実は、看護師の実習を体験するころになると毎年、心や体がきつくなって辞めていく学生が一定数います。だけど私は、母が払ってくれた学費を無駄にしたくなかったし、学校を辞めたくなかったので、「復帰しなくちゃ」という焦りよりは、「辞めたくないから絶対に学校に行って卒業してやる!」という負けん気がモチベーションになっていたんです。

 

看護実習中のスタッフや一部の教員の態度は「学生の尊厳を人として守れていますか?」と言いたくなる場面がたびたびありました。もちろん全部の病院や学校がそうではないと思いますが、もし看護学校や実習を受け入れる病院に何か提言できるとしたら「もっと学生を大切にしてほしい」と伝えたいです。今の時代にもそういった風潮があると若い看護師さんから聞きますから。