「やりたい人~?」の声に真っ先に手を挙げた
── 現在はダウン症の佐々木虎太朗さんとコンビでも活動されています。活動はいつからですか?
岡崎さん:2年ほど前です。地元が同じご近所さんで、虎太朗くんのことは小さいころから知っています。21歳と43歳、歳は離れていますけれど、子どものころから見かけたら声をかけて一緒に遊んでいました。友達ですね。
── クラウンに誘ったのは、岡崎さんのほうからですか?
岡崎さん:虎太郎くんのほうからなんです。2年前に地元の催しに出演したとき、舞台に上がってお手伝いをしてくれる人を募るために、観客席に向かって「誰かやりたい人~?」と声をかけたら、最初に手を挙げたのが虎太朗くんでした。その舞台をきっかけに、「本格的にクラウンをやりたい」と思ったそうで、後日、虎太朗くんから改めて話がありました。
佐々木さん:僕はクラウンをやっている岡崎さんに憧れて「自分もやりたい」と思ったんです。親にも相談して、「本当にできるの?」と言われて「できる!」と言いきってしまって。そこから話し合いをして、ちゃんとした許可をもらって、「やりたいです」と(岡崎さんに)お願いしました。
岡崎さん:クラウンを「やりたい」と言ってきた子は初めてでしたね。友達である虎太朗くんがやりたいことのお手伝いをしたいと思いましたし、何より彼の仕事として確立させたいと思って受けました。
僕自身、それまでは会社員をやりながらボランティアでクラウンをやっていたのですが、ちょうど会社を辞めて、クラウンとしてお金をいただくようになっていました。自分により責任を与えたいと思っていた時期に、虎太朗くんが来てくれたんです。ダウン症の子が自立するためには、お金を稼げることは必要だと思っているので、今後、仕事として成り立たせたいという強い思いがあります。
── 佐々木さんは、仕事とクラウンの活動を両立されているのですか?
佐々木さん:はい。障害者支援施設で働いています。今は花の寄せ植えの準備に追われています。(クラウンの公演はこれまでに)20回くらい。地元のイベントとか、大学とか、後輩のお母さんが運営をしている「高山病弱児を守る会あかりんぐ」さんに招待されて、パフォーマンスをしました。
── 舞台に立つときに緊張はしませんか。
佐々木さん:はじめは緊張しましたけど、だいぶ慣れてきて緊張しなくなりました。衣装に着替えて、メイクをしてもらってクラウンになると、仕事のスイッチが入ります。
岡崎さん:メイクをすると、会場に入る前にもうふざけ始めるよね。今後は虎太朗くんがひとりでも活動できるように練習をしています。メイクも自分でできるように。僕がラクだからね(笑)。
── 最初は心配されていたご両親も、喜んでいらっしゃいますか。
佐々木さん:両親は「うれしい」と言ってくれています。弟2人が勉強のために家を出ていて、僕だけが自宅にいるので寂しいこともあって、長男の僕が道化師を始めることで、笑顔になってきたと思います。
── 佐々木さんは、クラウンの活動を始めてから変わりましたか。
岡崎さん:変わったというより、もともとあったものが引き出されたというイメージですね。大人になるにつれて、人は「恥ずかしい」とか「こう見られたい」とか、いろいろなものが身についてきて、シンプルな感情が出せなくなるじゃないですか。自分の殻を破って、「うれしい」「楽しい」というシンプルな感情を表現することができれば、見ている人は優しい気持ちになれるのだと思います。
佐々木さん:みんなから反応がありますから、やっていてうれしくなります。
── 佐々木さんには、プロのクラウンとしてやっていける資質があるということですね。
岡崎さん:虎太朗くんはクラウンに適した素材をもともと持っていると思います。虎太朗くんには、「恥ずかしさ」や「自分への自信のなさ」がないんです。クラウンは自分の殻を破らないといけないのですが、その必要がないんですよね。もうできているんです。それは、ダウン症の子特有の資質なのかもしれないですけれど。虎太朗くんは、ダウン症であることを武器にすればいいと僕は思っています。人と違うことは武器になるじゃないですか。自分でどんどん「僕はダウン症です」と言うようにして、それを強みにするお手伝いもできればと思っています。
PROFILE 岡崎賢一郎さん・佐々木虎太朗さん
おかざき・けんいちろう、ささき・こたろう。岡崎さんは、プロのクラウンとして2019年より活動。保育園や高齢者施設、病院などでパフォーマンスや講演を行う。2022年に佐々木さんとともに「クラウンToKa & KoTa」としての活動もスタート。
取材・文/林優子 写真提供/岡崎賢一郎、佐々木虎太朗