こんなに世の中が変化してるのに、学校は20年間、ほとんど変わっていない
── 別のカタチで子育てに参画したいという思いから、起ち上げられた事業なのですか?
太田さん:いえ、もともとは自分の意思ではなく、役員として携わっていたITベンチャーで、プログラミングスクール事業部に異動になったことがきっかけでした。しかも当時、早発閉経で不妊治療していることを社内で公にしていたので「子どもができずに苦しんでいるのに、このタイミングで、この異動?」とモヤモヤしました。しかも、うちの会社の代表は7人の子持ち。いったいどういうつもりで異動を命じたのか、理解に苦しみました。もちろん他意はなく、軌道に乗っていない事業のテコ入れだったのですが…。
── でも、たしかに複雑な心境になりそうですね。
太田さん:最初はあまり乗り気ではありませんでしたね。ただ、私が生きるうえで大切にしている「キャリアのドアにはドアノブがない」という教えに従って飛び込むことにしたんです。いくら自分が「この仕事をやりたい」と手を上げても、人から望まれない限り、目指すキャリアは積んでいけない。だから、誰かが向こうから扉を開けてくれたら、ためらわずに飛び込んでチャンスを逃さないという考え方です。ですが、不妊治療がうまくいかないなかで、扉をあけられても、飛び込むのに少し勇気が必要でしたね。
── 実際、飛び込んでみていかがでしたか?
太田さん:代表は7人の子どもがいるので、かれこれ20年間くらい親として小学校に関わり続けているのですが、「こんなに世の中が変化してるのに、学校は20年間、ほとんど変わっていない。教育を変えなければ」という思いから、子ども向けのプログラミング事業を立ち上げています。その思いが理解できました。
また、私自身も教員に憧れていた学生時代の思いが呼び起されました。親になった経験がないぶん、親よりも子どもの感覚や気持ちに近いので、理解できる部分があるんじゃないかなと。親目線で物事を見ない大人が子どもに関わるのも意味があると思っています。
── いろんな立場、いろんな感覚を持つ大人が子育てに関わることは大事ですよね。
太田さん:振り返ると、私も子ども時代、いろんな大人に関わってもらった経験から、人生というサバイバルを切り開く強さを学んだ気がします。子どもたちにとって「ご近所の身近なおばさん」の役割ができればいいなという感覚でいますね。
PROFILE 太田可奈さん
おおた・かな。1982年東京生まれ。
取材・文/西尾英子 写真提供/太田可奈