縄跳びネタでおなじみのお笑いコンビ「にゃんこスター」のアンゴラ村長さん。中学時代の成績はオール5の優等生で、早稲田大学在学中にデビュー。コンビ結成わずか5か月で『キングオブコント2017』で準優勝する順風満帆なキャリアを過ごしてきましたが、芸人として原点となったのは、むしろ「テレビで露出が減った後だった」と振り返ります。(全4回中の1回)

中学時代は超優等生「計算高いタイプだったかも」

にゃんこスターのアンゴラ村長とスーパー3助
『キングオブコント2017』で準優勝したときのアンゴラ村長さん(左)

── 中学時代は優等生で、埼玉県内でも偏差値トップの早稲田大の付属高校に推薦入学されたそうですね。どんなタイプのお子さんだったのでしょうか。

 

アンゴラ村長さん:そうですね…中学時代はわりと計算高いタイプだったかもしれません(笑)。きょうだいがいるので「こういうことをしたらダメなんだ」「こうしたらいいんだ」というのを無意識に学んでいたのかもしれません。学校の授業でも「この先生は、こうしたら5をくれるよな」というのがわかるようになって。 

 

たとえば、「ワークをやって提出しなさい」と言われた課題でも「この先生は努力をする子が好きだから、1回だけじゃなくて3回解いたルーズリーフをワークに挟んで提出しよう」という具合で、5をもらっていました。

 

── 努力を見せていたんですね。推薦入学も計画的に準備したんですか?

 

アンゴラ村長さん:そうですね。中学2年生で初めて成績表でオール5をもらって「自分って思っていたより頭いいのかも」って気づいて。推薦ももしかしたら手が届くかもしれないから努力してみようかな、と。そこから推薦に焦点を合わせていった感じですね。

 

── 当時の将来の夢は何でしたか。

 

アンゴラ村長さん:そこまで強く何かになりたいと思っていたわけではないのですが、舞台の脚本家とか楽しそうだな~とぼんやり思った記憶はあります。

 

ただ、中学2年生のときに友達から「今度の『M-1グランプリ』にNON STYLEっていう人が出るんだけど、めちゃめちゃおもしろいから見て」って言われたんです。見たら本当にめちゃくちゃおもしろくて、そこからお笑いが好きになりました。その後、お笑い芸人の方が関わっている劇もあるんだと知って。そういう劇も見るようになってからは「脚本家ってすごいな」と憧れた覚えがあります。

大学1年で気軽に養成所へ「お笑いに本気の人が多くて驚いた」

── そこからお笑い芸人の方向にシフトしたのは、どういったいきさつだったんですか?

 

アンゴラ村長さん:正直、私あんまり「お笑い芸人になりたい」って目指して芸人になったわけじゃないんですよね。周りの環境に適応していって、気づいたらなっていた…っていう。

 

大学1年生のときに、ワタナベエンターテインメントが大学生向けに開催したお笑いの大会に、当時組んでいた相方と一緒に出たら、決勝まで行ったんです。そしたら「安くするから養成所に入らない?」と誘ってもらえて。本当に安かったので「1年通ってみたら勉強になるかもな」くらいの気持ちで入りました。そしたら、まわりがけっこう本気で。会社を辞めてきていたり、車を売って入学費を払っていたり…。本気でお笑いに人生をかけてる人たちがいたんです。それで、私たちも本気でやらなきゃと。

 

── 学生生活と養成所との両立は、忙しそうですね。

 

アンゴラ村長さん:たしかにめちゃめちゃ忙しかったですね(笑)。週に1回、日曜日だけのコースだったんですが、毎週ネタ見せがあるので、絶対に新ネタを作っていかなきゃいけなくて。あとは、ダメ出しされたら毎回明確に直して持っていかないといけなかったんです。それはかなり大変でした。

 

── 養成所を卒業後、大学2年生のときにデビューされたそうですね。その後、現在の相方であるスーパー3助さんとコンビ結成し、『キングオブコント2017』に挑みました。決勝で披露した「縄跳びネタ」はもともとアンゴラさんのネタだったそうですね。

 

アンゴラ村長さん:そうですね。私がひとりで縄跳びを飛んで、自分でツッコんだり、録音した音声でツッコんだりしていたんです。それを3助さんが見て「俺がツッコんだほうがおもしろいんじゃないかな」って。それで、ライブでお試しでちょっとやってみたら、そのライブで2位になりました。その後、当時のライブシーンを賑わせていた芸人さんたちと一緒のステージに上がれたんですが、そこでも上位に入賞して「これは可能性あるぞ」と。

 

アンゴラ村長
大塚愛の曲に合わせてアンゴラ村長さんが縄跳びを飛ぶネタで人気を博しました(アンゴラ村長Instagramより)