10代半ばから第一線で活躍する選手が多い女子フィギュアスケートの世界で、村主章枝さんは33歳まで現役を続けました。何が彼女をそこまで魅了したのか。そしてスケートを通じて得た人生を好転させる力とは何なのか?(全4回中の2回)
6歳から始めたスケート「転機は15歳のとき」
── オリンピックに2度出場し、「氷上のアクトレス」と評された村主さん。スケーター時代の大きな転機はいつですか?
村主さん:6歳からスケートを習い始めましたが、15歳のころにカナダ在住の世界的振付師・ローリー・ニコルさんと出会ったのが、大きなターニングポイントになりました。この方の作品や芸術的なアプローチがすごく好きで、将来、ローリーさんのような振付師になるのが、当時からずっと目標でした。もちろん、大きな大会でいい成績をとることも、自分が満足できる作品を形にして演技するのも目標でしたが、「あんな振付師になりたい」と競技人生を追求してきました。でも、なかなかローリーさんのようになれる気がしなくて…。
ですから、引退時もそこで終わりではなく、「さあ、これまでの積み重ねをいかして、振付や作品作りなどやってみよう」と、出発点に立つ気持ちでした。
33歳まで現役を続行した「オリンピックの吸引力」
── 村主さんは、ソルトレイクシティオリンピック5位、トリノオリンピック4位に入賞。やはり、オリンピックは特別ですか?
村主さん:ひと握りのアスリートしか出場できないオリンピックに2度出場できたのは、大きな経験でした。やはり、オリンピックはすごい場所であり、オリンピックならでの雰囲気がありました。聖地のように空気がすごく澄んでいて、音もすごくクリアに聴こえて、あんなに綺麗で透明な空間にはいままで行ったことがないと感じました。
── まさに聖地。競技に集中すると周囲がいつもと違って見えるような経験をする人もいますが、選手時代、そのような経験をしたことはありますか?
村主さん:いわゆる「ゾーンに入る」ということだと思いますが、28年間、競技生活を送って、3回くらいですね。そのときは、大きなシャボン玉の膜の中にいるような感覚で、周りでは音楽が流れていたり、歓声があがっているはずですが、何も聞こえないんです。
── 村主さんの芸術性の高い作品や演技力は心に残っています。前例のない挑戦もされましたね。
村主さん:ロックの曲をクラシックアレンジして踊る機会があり、パンツスタイルの衣装にできないかと考えました。でも、パンススタイルは前例がないので、もし減点されたら困ると、パンツにスカートをつける折衷案で臨みました。また、当時はボーカル入り楽曲の使用が認められていなかったのですが、どうしてもアディエマスの曲で演技したくて。該当曲の声は「楽器として使用されている」「ボーカルではない」と原作者に証明していただき、大会前に提出しました。
── 村主さんの作品へのこだわりは、やはりすごいですね。33歳まで現役を続けましたが、これも前例がありません。
村主さん:アイスダンス以外で、33歳まで現役を続ける選手は聞いたことがありません。オリンピックに魅了され、またあの舞台でいい演技がしたい思いで続けました。オリンピックの吸引力はすごいです。でも、成績だけを求めるのではなく、自分が目指す作品や技術の向上に焦点をあててきたのが、長く選手生活を続ける秘けつともいえます。