五輪などで活躍したトップスケーターの次なるステップとして、アイスショーなどで活動する姿をよく見かけます。ところが、ひょんなことから村主章枝さんは、映画の裏方として活動することに。制作した作品は社会課題からホラーまで!ラスベガス在住の村主さんにオンライン取材を試み、その経緯を聞きました。(全4回中の1回)

アイスショー実現のためにラスベガスに移住したら

村主章枝さん
映画プロデューサーとして裏方仕事までこなす村主章枝さん

── フィギュアスケートの選手として、オリンピックに2度出場した村主さん。現在は、ラスベガスを拠点に映画プロデューサーとして活躍中ですが、どのような経緯で映画界へ?

 

村主さん:引退後はカナダで指導者のライセンスを取り、スケートの指導をしていました。一方で、やはり長年やりたかったアイススケートショーを実現したいと、2018年、私にとって「夢の象徴」ラスベガスに移住したんです。ショーの制作を開始するにあたり、その過程をドキュメンタリーとして記録しようというアイデアがあり、ひとづてに紹介してもらったりしながら、ようやく映像チームを集めることができました。

 

その矢先に新型コロナウィルスが流行し、ショー自体を開催できなくなりました。ただ、せっかくいいメンバーが集まったのに、このまま何もしないのは残念だよねと、映像チームに相談したところ「ショーの映像を撮れないなら、映画を作りたい」と逆に提案されたんです。それなら、と深く考えず映画を作り始めたのが、この道に入るきっかけです。

 

── 映画制作はスケートとはまったく違う世界で、とまどいはありませんでしたか?未経験の業界・職業に飛びこむには、かなりの勇気が必要だと思います。映画監督とのやりとりや資金集めなど、ご苦労されたのでは?

 

村主さん:資金面や制作の難しさはまったく想像せずに始めたので、「もっと勉強してから始めればよかった」と、後から思うことはたくさんあります。でも、私の直感にもとづいて、あのとき「映画を作ろう」と判断したんです。そのときの直感は、28年間の競技生活を送るなかで培うことができた特別な感覚であり、崖っぷちで戦いぬいてきた経験から育まれたものです。あのとき、直感にしたがって決断したことで、長編映画を2本制作するまでやってこられました。

「買い出し」から「資金集め」までなんでもする

── 直感に従って、映画の世界へ!そして、2019年に映画制作会社を設立。展開が早いです。村主さんはどんな仕事をしているのですか?

 

村主さん:私を含め共同経営者3人で、映画制作のプロダクションを経営しています。大手映画会社だと専門家の労働組合があり、仕事内容が細かく決められているため、職域を超えることはないのですが、私たちの場合は小さな会社なので、幅広い業務を担当しています。資金調達、撮影計画作り、役者さんのお世話や送迎、買い出しや現場で照明のセッティングもして、道具も運びます。

 

── そんなに!かなりいろいろな能力が必要とされますね。これまでどのような作品を作ったのですか?

 

村主さん:テーマは子どもの人身売買の問題や、周囲からは評価されていても自分自身を過小評価しネガティブにとらえてしまうペテン師症候(Imposter syndrome)の方を描いた社会課題からホラーまでさまざまで、短編・長編といろいろ扱っています。歴史ファンタジーの短編では、いくつか賞を受賞しました。