この子は何者?先生たちをざわつかせた面接
── その後、受験に向けてどのような準備を?
愛華さん:バレエ教室を探して、家から1時間かかるところに通い始めました。でもそこは、保育士さんを目指すための訓練のような場所で、まさか私が宝塚を受験しようとしているなんて誰も思っていなかったんです。みんなで『花のワルツ』を踊ったり、和気あいあいとしていました。コミュニティセンターでは発表会のような合唱をしたり。それが半年ほど続きました。
その後、12月後半になって宝塚音楽学校の願書がようやく手元に届き、そこで受験科目を知るわけです。「宝塚ってこんなすごいの?お母さん、受験まで間に合わない!」って。そこで焦って弟の中学校の音楽の先生に相談したんです。今でも覚えています。田んぼのあぜ道で自転車を押しながら「先生、実は宝塚を受けようと思っていて」と打ち明けたら「えー!」とのけぞられて。「もう受験まで3か月もないし、諦めたほうがいいですかね」と言うと、その先生が「今はただの石ころのような原石かもしれないけど、磨いたらダイヤモンドの原石になるかもしれない」と言ってくださって勇気をもらいました。
── 受験はどのような流れで?
愛華さん:宝塚音楽学校の試験は3月中旬から始まり、第3次試験まであるんです。私はもう最初から場違いはなはだしくて(笑)。1次試験のときは、バレエスクールに通っていたのに専用の下着があることも知らず。審査では「下着が見えると減点」と言われていたので必死で隠そうとしたのが逆効果だったみたいです。後から同期に「パンツ20センチ出ていた子だ」って笑い話になりました。
バレエは、幼いころから日舞をやっていた経験で、上半身はきれいに見えたみたいなんですけど、足の動きが全然わからない。アピールすることがないからとにかく笑顔で立っていたら、先生方に名前を覚えていただきました。
2次試験では新曲の課題があって。譜面を見て歌うんです。周りの受験生が太ももを手で叩きながら拍子を取っているのを見て、私はてっきり自分を励ますための動作だと思ってしまうほど(笑)。私は譜面が読めないので、最後はなんとなく「シ~、ド~」と歌うと、先生方が一斉にペンをシャッと横に走らせたんです。「あ、私もう終わったな」と思いました。
でも不思議なことに、ひとりだけ私をずっと見てくださっている先生がいたんです。最後はその方に向かって特訓してきた『アカシアの花』を心込めて歌ったら、なんと三重丸をつけてくださって。後からわかったのですが、その方は宝塚歌劇の有名な演出家でした。
── その三重丸が大きな意味を持つことになったと。
愛華さん:ええ。3次試験の面接ではその三重丸を見た先生方が「この子は何者なんだ?この子のよさはいったい、何なんだ」とざわつくほど(笑)。面接で「もし宝塚に落ちたらどうしますか」と聞かれて、「実家の製材業で丸太担ぎます」と答えたら、その場がドカーンと笑いに包まれました。最後のバレエも「ボールを持って飛びきりの笑顔で終わる」という私なりの表現で挑んだら、なんと合格したんです。
母でさえ、まさか私が受かるとは思っていなかったみたいで(笑)。当時、西宮に住んでいた叔母と合格発表を見に行くとすぐに校長室へ。「今のレベルでは入学してからついていくのが大変だから、入学前に特訓が必要」だと言われましたが、「鹿児島ではそういう場所がありません」と伝えたら、入学後に先生を紹介すると約束してくださいました。
そうして意気揚々と高校に戻り、「絶対に無理だ」と言っていた進路指導の先生のところに行って「通りました」と報告したんです。先生は「君の性格を知って僕らは言ってたんだよ」なんて言ってましたが(笑)。私だけ空欄だった進路先の掲示板に「宝塚音楽学校」と書いてもらったときは、思わず「よし」とガッツポーズが出ました。今でもそのときの気持ちは忘れられないですね。
PROFILE 愛華みれさん
あいか・みれ。女優。1964年11月29日生まれ、鹿児島県出身。元宝塚歌劇団花組の男役トップスター。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。ミュージカルはもちろん、MCや声優にもチャレンジするなど多角的に活動を続けている。
写真提供/愛華みれ