16歳で交通事故にあい、両脚切断を余儀なくされたモデル・インフルエンサーの葦原みゅうさん。事故直後はICUに運ばれ、ようやく自身の体の状態に気づいたのは、事故から実に2か月後のことでした。医師から「脚を切断した」と説明を受けたみゅうさんですが、落ち込むどころか「いつ退院できますか?」とすぐに切り替えたそう。当時の思いや、モデルとして活動を始めた経緯について伺いました。(全3回中の1回)

切断後もずっと脚がある感覚がある

葦原みゅう
自身の体験談などを伝える講演会も積極的に行っています

── 事故後、いつごろご自身の体の状態に気づいたのでしょうか。

 

みゅうさん:目が覚めてすぐに「脚がない」とは気づきませんでした。ICUで目覚めたんですが、事故の直後は、麻酔が効いていたので数分しか起きていられなくて。母親の泣き顔が視界に入った記憶はあるんですけど、すぐに眠ってしまう状態でした。そのうち起きられる時間が少しずつ伸びていったんですが、そのときも指先まで脚がある感覚が残っているんですよ。ちなみに、今もあるんです。

 

ベッドに寝ているときは寝転がって脚を伸ばしている感覚があるし、いすに座っているときは地面に脚をついている感覚があるんですね。不思議なんですけど。切断者あるあるって言われていて、脚や腕があった時間が長ければ長いほど、その感覚が残っているようです。

 

事故当時は今よりもその感覚が強かったので、自分の脚がなくなっていることに自分では気づきませんでした。当時は私が16歳という多感な時期ということもあって、家族や主治医の先生も私に両脚を切断したというのを言えずにいたそうなんです。なので、2か月くらいは気づかなかったんじゃないかと思います。

 

── ご自身の脚がない、と気づいたきっかけはあったのでしょうか。

 

みゅうさん:骨盤が折れていたので、体を動かさないでと言われていました。ただ、起きられる時間が少しずつ長くなると、体勢を変えたくてもぞもぞ動くので、ベッドのシーツがよれちゃったんです。それを直そうと、寝転がりながら背中から手を入れてシーツを直したときに、お尻のあたりまで触ったら、上半身は病院着を着ているのに下は病院着じゃないことに気づいて、「あれ?」と。

 

感触は、包帯がぐるぐる巻きになっていて、さらに上からビニールを巻かれたような感じ。ビニール素材なんだけど、ふかふかしてる…みたいな。「上は病院着を着ているのに、なんで下はそんな感じなんだろう、脚が悪いのかな」とはそこで気づきました。

 

そもそも事故から2か月くらいたっていたので、早く退院したいのに、なぜリハビリが始まらないのか不思議に思っていたんです。でも自分の姿を鏡で確認できるわけじゃないので、何かが起こっているかもわからない。「リハビリが始まらないってことは、何かが起こってはいるはずだ」とは思っていたので、「もしかしたら脚を切断しているのかな」と気づきました。

 

ただ、そのときは包帯がぐるぐる巻きの状態だったから、どれくらい脚の長さが残っているかもわからなくて。それで主治医の先生が回診に来てくださったタイミングで「脚を切断したんですか?」と自分から聞きました。ただ、先生としては、親と一緒に私に伝える日を考えてくれていたみたいで。後日、親が面会に来たタイミングで「脚を切断した」と説明を受けました。

脚がないとわかって「モヤモヤから解放された」

── そうだったんですね…。そのときはどんなお気持ちでしたか?

 

みゅうさん:私からしたら、リハビリが始まらない理由がわかって、むしろすっきりしたというか、開放感のほうが大きかったです。自分ではよく覚えていないんですけど、説明を受けたあとの第一声は「退院はいつごろですか?」だったそうです。親は、それでめちゃくちゃびっくりしたみたいで(笑)。

 

「脚を切断したことをどう受け入れたんですか?」とよく聞かれるんですが、受け入れたも何も、主治医の先生に説明されてすぐ退院に気持ちを切り替えた感じです。これからどれくらいリハビリに時間がかかるのかわかったぶん、むしろうれしかった。目安がまったくない状態のほうがモヤモヤしていたので。現状がわからないと目標を立てられないじゃないですか。なので、そのときはすっきりした気持ちが大きかったです。

 

葦原みゅう
長野県に旅行した際のショット。SNSでは現地のバリアフリー情報も発信しています

── 脚を失ったショックよりも、退院に向けたリハビリのほうに気持ちが集中していたんですね。

 

みゅうさん:そうですね。「車いすにはいつから乗れますか?」といったことのほうが気になっていました。リハビリも、最初は自分で車いすに乗れないので、リハビリの訓練士さんに抱っこされつつのスタートだったんです。でも、だんだん自分で乗れるようになって。車いすをこげるようになったら自分でナースステーションにも行けるようになり、できることがひとつずつ増えるワクワクのほうが大きかったです。

 

個室だったので、人とふれ合うことがなくて暇だったんですよ(笑)。ナースステーションで、看護師さんとお話ししたりするのがすごく楽しかった記憶があります。

 

── 退院後、すぐに大好きな「東京ディズニーランド」に行かれたとか。

 

みゅうさん:そうなんです。そもそもオーダーの車いすができあがる前に退院しちゃって。オーダーしてでき上がるまでに3か月くらいかかったんです。できるだけ早く外に出たくて、退院できる状態になるまで頑張ってリハビリしたのに、車いすが届かないせいで入院を延期しないといけないのが、すごくイヤで。

 

主治医と相談したうえで、車いすをレンタルすることにして、オーダーの車いすができあがる前に退院しました。今乗っているような自分でこぐ前提のものではなくて、病院の入り口などにある、自分でも動かせはするものの、人が押す前提で作られた大きな車いすでした。

 

── 私も家族が車いすユーザーなのですが、病院の入り口にあるような車いすと、オーダーの車いすとでは、操作性がかなり違いますよね。

 

みゅうさん:そうなんです。脚がないぶん、体の前方が軽くて浮きやすくて、最初は怖かったです。「東京ディズニーランド」には友人と一緒に行く約束をしていたし、ひとりでは移動が難しいところは友達に押してほしいと頼んで。気をつけなきゃいけない点は意識してましたけど、あとは気にせず満喫していました。めっちゃ楽しかったです(笑)。