ダウン症のある詩人でアマチュア落語家の村上有香さん。ダウン症があることを自覚し、受容するまでのお話をお母さまの村上喜美子さんとともに伺いました。(全2回中の2回)

自分の中の偏見や無知を反省した日

生後4か月のころの村上有香さん
生後4か月。初めて頭を持ち上げた日、周りにいた両親は拍手喝采で大喜び!

── 有香さんの小さいころのお話を聞かせてください。

 

有香さん:私が産まれたとき、お父さんは家に帰って大泣きしたんです、うれしくて。

 

喜美子さん:産まれてすぐに、夫は有香に会う前に産婦人科医から「ダウン症の兆候があります」と言われて、家に帰ってひとりで泣いたそうです。私は「地獄に落ちた」と思いました。(有香さんに向けて)ごめんね。今は違うからね。今はうれし泣きになったね。

 

そのとき、私は今まで障がいがある人に対して「地獄にいる」と思っていたんだ、と気づきました。自覚はなかったけれど、自分の中に偏見や「こうでなければいけない」という思い込みがあった。そしてそれは、無知のせいだということも反省しました。生後1か月くらいのときに、小児科医に「どう育つんですか」とお尋ねしたら「健常者でも成長の幅は広い。ダウン症の人はもっと幅が広いから育ってみないとわかりません」と言われたんです。「育たなければわからないのなら、がんばって育てよう」とそのとき思いました。

 

当時の看護師長さんに「成長が遅いぶん、できるようになったときの喜びが大きいですよ」と言われて、そのときはそうは思えませんでしたけれど、実際に首を上げられるようになったときも歩けるようになったときもすごくうれしくて、おっしゃったことは本当でしたね。

 

幼少期の村上有香さん
喜美子さんお手製の「ペットボトルの棒挿し」に取り組む

── 有香さんを育てるときに、心がけていらしたことは。

 

喜美子さん:有香が小さいころに通っていた療育の先生に「自信を持たせてあげることが大切」と言われたんです。どうすれば自信を持たせることができるだろうと考えて、手作りのおもちゃで自己肯定感を高める工夫をしました。たとえば、穴の開いた容器に棒を刺す木製のおもちゃがあったのですが、それは容器に棒を刺すと棒が見えなくなってしまう仕様でした。「刺してもそこにあることがわかるように、容器が透明ならいいのにね」と先生がおっしゃっているのを聞いて、ペットボトルで同じようなおもちゃを手作りしてみました。同じ色どうしを合体させて完成する「色合わせのおもちゃ」も、違う色を選んだら磁石同士が反発するようにして、色合わせが失敗しない工夫をしました。おもちゃで遊びながら、有香は自分で考える力がつきましたし、「入った」とか「落ちた」とかの言葉も出るようになりました。

 

── おもちゃのクオリティが高くて驚きます。

 

喜美子さん:学生のころに美術を専攻していました。学生時代に作品を褒められることはなかったのですけど、有香のために作ったおもちゃで初めて「いいね」と言ってもらえました。「有香を成長させる」という目的ができて、学生時代とはくらべものにならないほどのパワーが出たのかもしれないですね。

 

村上喜美子さんのおもちゃ作品
イベントで喜美子さんの作品が展示されたことも

「家で勉強しているのに、学校でまで勉強をしなさいと言われたくありません!」と大泣き

村上有香さんと友人
大好きなお友達・佐野さんと

── 学校ではいかがでしたか。

 

有香さん:小学校3年生のとき、みんなと一緒の授業についていけなくなってしまったんです。話も聞き取れないし、自分もうまくしゃべれなくて大変だったんです。教室で「私は家で勉強しているのに、学校でまで勉強をしなさいと言われたくありません!」って大泣きしたんです。

 

喜美子さん:普通クラスについていくためではなく、将来困らないように時計とお金がわかるようにしてあげたくて、家で勉強をさせていたんです。「お母さんとの勉強楽しい」と言ってたんですけれど(笑)、私への遠慮だったのですね。教頭先生に呼び出されて「お母さん、家で何をさせているんですか」と言われました。「勉強は学校に任せて、家ではリラックスさせてあげてください」と。それからは、勉強はプロにお任せすることにしました。たとえば、時計ですが、時間って60までの数の並び方がわかることに加えて、2桁の足し算と引き算が暗算でできなければ読めません。当時、有香は時刻の読み方ですら丸覚えして、すぐに忘れてしまっていました。その子が理解できるタイミングに合わせて教えないといけない。よい指導者には、そのタイミングがわかるのですよね。

 

有香さん:6年生のとき、保健室登校になりました。

 

喜美子さん:支援学校の体験入学をしたら、「こんないいところがあるんや」と思ったようで、「転校したい」と言い出しました。支援学級をすぐに使わせていただくことはできなかったので、保健室にいさせてもらっていた時期があります。仲よくしてくれていたお友達が、保健室まで迎えに来てくれてね。

 

有香さん:佐野さんです。

 

喜美子さん:有香の作った「佐野さん」という詩があります。「佐野さんはとてもやさしい子 私は佐野さんになりたい」という内容です。佐野さんのお父さんがこの詩を読んで号泣されました。

 

小学5年生のころ、有香が「ダウン症って何?」と聞いてきました。自分が取り上げられたニュースをテレビを見て「自分はダウン症なんだ」と知ったようです。「お父さんには内緒にしてね。ふたりだけの秘密にしてね」と有香が言うので、「お父さんは知っていると思うよ」と伝えました(笑)。お友達と同じようにできないことを有香が嘆くときは、一緒に悲しむことしかできませんでした。代わってあげられないのでね。でも、「何ができなくても、お父さんとお母さんは有香ちゃんのことが大好きだよ」ということは伝えてきたよね。

 

有香さん:うん!

 

喜美子さん:最終的に吹っ切れたきっかけは『アナと雪の女王』の主題歌「レット・イット・ゴー~ありのままで~」でした。歌いまくって、気が晴れたみたいですね。