47歳のときに12歳年下の男性と結婚したソフトボールの元オリンピック日本代表監督の宇津木妙子さん。パートナーとの出会いについて、また、宇津木さんの家族を語るうえで欠かせない存在である、ソフトボール日本代表監督を務めた宇津木麗華さんとの関係について伺いました。(全4回中の3回)

「この人と結婚するかも」という予感があった

宇津木妙子さん
宇津木妙子さん

── パートナーである伏見幸男さんとの出会いについて教えてください。

 

宇津木さん:夫と初めて会ったのは、私が日本代表チームの監督を引き受けたばかりのころ。当時の私は、日立高崎の監督も兼任しており、日立の全事業所を集った「全社ソフトボール大会」にも参加することになりました。開催地である山梨におもむき、大会前夜の食事会に招かれたとき、その場に遅れてきた夫と対面しました。

 

そのころの夫は、山梨の事業所で総務の仕事をしていましたが、同じ年の秋に高崎に転勤に。私が練習をしていたとき、グラウンドに挨拶に来てくれたことがきっかけで、少しずつ会話をするように。土地勘がまだない夫のために、日用品の買い出しにつき合ってあげたり、一緒に食事をしたりするようになりました。

 

── 距離が徐々に縮まっていったのですね。監督業に忙しい時期だったかと思いますが、結婚も意識されていたのでしょうか。

 

宇津木さん:以前から父に「早く結婚してほしい」と言われていたこともあり、「いつかは結婚しなければいけない」と考えていました。しかし、監督業と家庭の両立は難しいと考えられていたからか、当時は「女性監督は結婚できない」という風潮。それでも私は「監督としてチームを育てつつ、家庭も築きたい」と夢を描いていました。それに、夫とは出会ったときから「この人と結婚するかも」と感じていたんですよ。

 

── 2人で生活するうえで、どのようなことを重視されましたか?

 

宇津木さん:「相手を縛ることはしたくない」という思いとともに、私自身も縛られたくなかったので、「自分のペースを維持すること」を大事にしていました。特に私は、スケジュール通りにきっちり行動するタイプ。毎日、朝起きてからの予定を組み、その通りに行動したい性格だったので、夫は大変だったかもしれません。夫の母親に「息子が心配」と言われたこともありました。

 

また、いざ結婚生活が始まると「監督」と「主婦」の両立で大忙しに。「完璧に家事をこなしたい」という思いも芽生え、掃除や洗濯、料理なども背伸びしながら頑張りました。大変ではありましたが、これまでソフトボールのことだけが占領していた時間のなかに、家のことや夫のことを考える瞬間ができ、自分の世界が広がったようにも感じています。