「男だから」とか「女だから」というのは関係ない
── 監督就任後は、どのような指導をされたのですか?
宇津木さん:まずは私自身を知ってもらうことから始めました。現役時代の失敗談を話し、「努力のうえに今がある」ということを伝えました。その後、選手一人ひとりの個人カードを作成。家族構成からチャンスに強いか弱いか、叱って伸びるか否かまで細かく記載し、選手にあった指導方法を検討し、実践していったんです。
── 日本ソフトボール界では、初めての女性監督となりました。当時、大変だったことを教えてください。
宇津木さん:女性指導者として、同じ立場で相談できる相手や、比較できる相手がいなかったので、むしろ自由に指導できたと思っています。他チームに合宿をお願いして「3部チームとはできない」と断られたり、「女性監督」ということで差別的な意見を向けられることもありましたが、「任せていただいた以上は、覚悟を決めて責任を取らなければ」という気持ちで向き合いました。選手たちが頑張ってくれたおかげで、順調にチームを強く育てられたと感じています。
1部リーグ優勝を果たした後で聞いたことですが、私が監督に就任することに対して、工場内の大多数が認めていなかったそうです。しかし、当時の工場長だけが私を信じ、「宇津木さんにかけてみよう」とみんなを説得してくれたと聞きました。
── 工場長からの信頼があったからこそ、宇津木さんらしい指導ができたのかもしれませんね。
宇津木さん:監督を引き受けるとき「練習についてはすべて私に任せてほしい」と伝えたのですが、それを承諾してくれたのも工場長が期待をかけてくれていたからだと思います。
今、女性リーダーがどんどん進出していますが、「女だから頑張らなきゃ」と背伸びしている人もすごく多いと感じています。しかし、「男だから」とか「女だから」というのは関係なしに頑張ればいいんです。一生懸命に頑張っていれば、誰かが認めてくれる。大勢の賛同を得られなくても、1人でも信じて認めてくれれば、それが原動力になるんだと、この経験からも実感することができたと思っています。
PROFILE 宇津木妙子さん
うつぎ・たえこ。1953年、埼玉県で生まれる。1972年に日本リーグ1部のユニチカ垂井に入団後、日本代表選手として世界選手権に出場。1985年に現役を引退。ジュニア日本代表コーチを経て、実業団チーム・日立高崎の監督に就任し、1部リーグ優勝チームへと育てる。その後、日本代表監督に抜擢され、2000年のシドニー五輪では銀メダル、2004年アテネ五輪で銅メダルを獲得。2004年には、日本人では初めて国際ソフトボール連盟に指導者として殿堂入りを果たす。現在もソフトボール界の普及活動に尽力している。
取材・文/佐藤有香 写真提供/宇津木妙子