約15年間、新庄剛志さんのパートナーとして奮闘し続けた大河内志保さん。2007年に「もうひとりの新庄剛志」としての人生に終止符を打ち、現在は「美容健康食プロデューサー」また「醸せ師」として活動を続けています。(全2回中の2回)

料理家としての新しい歩み「50代でも不調知らず」

大河内志保さんの近影
岩手にて。稲にできる稲麹を採取

── 結婚を機に、「もうひとりの新庄剛志」となって、野球以外のすべての役割を担おうと覚悟されたと伺いました。その後、メジャーリーガーとして世界でも活躍する姿を、夢をひと通り実現する姿を見届け、帰国後の2007年に離婚を決断されています。「もうひとりの新庄剛志」の役割を終えて、どのような日々を送りましたか?

 

大河内さん:彼とつき合い始めてから、36歳で別れるまでの15年間、自分の存在を消して生きてきました。20代から30代に経験できなかったことを急いで取り戻そうと、あらゆることを経験と学びに費やし、勉強や経験に時間とお金を投資。15年間を取り戻すことに専念しながら、これまで得た「食」に関する知見を、世界中の人に向けて行いたいと考え、海外にも赴き、子どもたちの給食を作る活動をしたこともありました。新たに発酵学の学びも深め、現在の健康維持に役立てています。

 

大河内志保さんの自宅のぬか床
自宅のぬか床。1日に2回手を入れて天地返しを行う

── 発酵学を学ぼうと考えたきっかけについて教えてください。

 

大河内さん:愛犬の介護がきっかけです。結婚生活を送っていたころから犬を3匹飼っていましたが、1匹を見送り、2匹の愛犬も高齢で介護が必要になってきました。当時は、仕事以外は愛犬につきっきりで点滴や食事療法を行い、自分のことはあと回し。体調が悪くても、対処療法で薬に頼っていました。

 

しかし44歳になったころ、私が腸を壊し、病院に緊急搬送されるほど体調を崩してしまいました。これを機に「日々の食事」の大切さを再認識。特に「腸内環境を整えるために、いい菌を増やすことが大切」だと気づき、腸にいいとされる「発酵」について学びたいと考えるようになりました。

 

その後、師匠と仰げる先生に出会うことができ、7年間、発酵学について学びを深めました。最近、師匠から「合格」をもらって、ようやく納得できる段階に到達したところです。体調面も安定し、30、40代のころより今のほうがパワフルに活動できている実感があります。

 

大河内志保さんの近影
「食の力」のおかげで50代でも不調知らず