90年代からオカルト作家・研究家として活躍してきた山口敏太郎さん(58)。長きにわたる不妊治療を断念し、2021年に代理母出産を選択する決断をしました。費用面の問題から社会情勢の不安定なウクライナで代理母を探し、運命を託した当時の思いを振り返っていただきました。(全3回中の2回)
代理母は身長180センチの女性「人助けだからやっている」
── ウクライナでは、どんなやりとりがあったのですか?
山口さん:まず一昨年の2月に、ぼくひとりでウクライナへ出向きました。運よくコロナ禍が落ち着いていた時期で、向こうでは電話が通じないため(自身が経営する会社の)社員には「四国の山奥に行くから電話ができなくなるよ」と伝えて出かけました。
エージェントでは、何百人もいるリストの中から代理母と卵子を提供してくれる女性の選定をしました。資料には顔写真、学歴、血液型、経歴などが載っていて、ぼくはA型を希望していたのと、身長が高すぎない人がいいと思っていたので、卵子提供者はそういった条件を考えて選びました。
後日、代理母になってくれる女性と対面して食事をしました。30代で180センチもある、しっかりした体格の女性でした。話を聞くとシングルマザーで「代理母をやると2、3年は食べていけるし、人助けでもあるからやっています。代理母はあなたたちで3人目なんですよ」と教えてくれました。自分の子を入れると4人産んだから、もう引退するんです、とも。この人だったら大丈夫という安心感がありました。
── 卵子提供者と代理母は別の女性なんですね。
山口さん:今は、それが確固たるルールみたいです。産まれた子に『自分の子』という感情が湧いてしまうのを避け、あくまでも代理母、卵子提供者という認識を徹底するためです。卵子を提供してくれた女性とは会っていません。
── みなさん、お仕事として割りきっていらっしゃるんでしょうか。
山口さん:というより、代理母をやっている人には、もちろん高額なインセンティブもありますが、ベースには「他者のため」というキリスト教的な奉仕の精神があります。そういった前提も知らずに批判したり慰めたりするのは、ぼくは無責任だと思います。
ロシア侵攻直前のウクライナで引き取り「奇跡の子」と
── 日本に帰国してから、遠くウクライナでのお子さんの成長が気がかりだったでしょう。
山口さん:まず「着床した」という連絡が来るまでが不安でした。妊娠判定がわかったのは5月5日だったんですが、ちょうどカミさんの52歳の誕生日で。「最高の誕生日プレゼントをもらった」とふたりで喜びました。結婚30年目でもありましたし。
その後も、順調に育っているという連絡が届いていました。産まれたのがわかったのは、カミさんと観劇しているときだったんです。不意にメールが入ったので何かあったのかとヒヤヒヤしましたが、無事に誕生したという報告でした。うれしかった。なんとも言えない不思議な気持ちでした。通常代理母は出産までに2、3年かかることが多いそうですが、うちの場合は最短期間の1年でできた子どもだと聞かされました。時期的にウクライナ侵攻の直前で、ロシアに攻撃されて瓦礫の山だという情報もあった。この子が産まれてきたのは、運命だったのかなと思いますね。
── そんな緊迫した状況下で太郎くんを引き取りに行かれたのですね。
山口さん:ロシアの侵攻が始まったのが2月下旬でしたが、11月下旬に、カミさんがひとりでウクライナに引き取りに行きました。ウクライナはすでに厳戒体制で、エージェントの上層部は皆ウクライナ行きを中止にしたほうがいいという意見でした。でも、カミさんと帯同していたコーディネーターがとりあえずドイツまで行こうと決めて向かったら、通常どおりウクライナ行きが飛んでいたそうで。現地での滞在も9日の予定が6日と、最短で帰ってこられたんです。その2週間後には国境に入れなくなって、3週間後には侵攻が始まりました。僕のファンからも太郎は「奇跡の子」と言われています。