保活に奔走、シッター探しでは全社に断られ

── 著書では、待機児童問題に一石を投じるきっかけとなった8年前の匿名ブログ「保育園落ちた、日本死ね!!!」を引用し、「日本は死んでほしくないけど泣いちゃうよ」と、近藤さんご自身も保育園探しに奔走した様子が書かれていました。離婚前後の保活について聞かせてください。

 

近藤さん:産後3か月のときに、横浜のみなとみらいにあるFMヨコハマで、ラジオDJをすることが決まりました。チャンスをつかみ取れたことはすごく嬉しかったのですが、都内在住だった私が県をまたいで保育園に入れることはほぼ不可能で。いかに保育を必要としているかを示すランクがあるのですが、ランクづけにアルファベットを採用する神奈川県には、「県外の人はIランクからになります」と言われたんです。これはダメだということで都内の保育園を探したものの、当時住んでいた世田谷区は激戦区だったので、民間が運営する園を見学したくても見学日をアナウンスする日が決まっていて。まずはその日の午前9時に電話で見学日を聞き「予約します」と言わなければ、園を見に行くことすらできない状況だったんです。でも、午前9時はちょうど番組が始まる時間で、私は放送中なので、デスクにいる番組プロデューサーが園に電話をかけてくれたこともありました。サポートしてくれたスタッフさんたちには本当に感謝しています。

 

結局、保育園には入れず、スタジオの近くの託児所に預けることになったので、満員電車を避けるために午前5時台の電車に乗り、ベビーカーで5路線を乗り継いで通勤していました。離婚した途端、ひとり親世帯になったことや別の区へ引っ越したことなどから、一気に扉が開かれたかのように「好きな保育園へ入れます」ということになり、今度は家から職場までの道のりにある園に入ることが決まったんです。ただ、番組が始まるよりもうんと前にはスタジオに着いていなくてはならないため、毎朝保育園に送ってくれるシッターさんを探す必要があって。朝6時台には息子を預けて開園まで待ってから園に送ってもらう、その間に私は電車で横浜方面へ向かうというスケジュールでお願いしようと何十社ものシッター会社に問い合わせたのですが、「早朝にそれだけの日数を対応することはできません」と全社に断られて、絶望しました。

 

仲間たちがシッターチームを作ってくれたことで事なきを得ましたが、自分がたくさん苦しんだからこそ、自分以降の人たちには苦しんでほしくなくて。今の私にできることは、問題提起をして周知させ、賛同の声を少しでも上げることだと思っているので、詳しい方をゲストでお呼びして番組で現状を知ってもらうなど、保活をする人たちに向けた取り組みができればと考えています。

 

近藤さや香
FMヨコハマでDJをしている近藤さん

── お子さんやご自身が体調を崩したときはどのように対処されていましたか?

 

近藤さん:シッターさんに「子どもが熱出しちゃって、今日もし空いてたら来てもらえないかな」と連絡をして来てもらうこともあれば、仲間たちが作ってくれたシッターチームLINEに一斉に問い合わせて、たとえば「10時までならいけるよ」と言ってくれる人と「10時からならいけるよ」と言ってくれる人とでバトンタッチをしてもらうこともありました。息子がインフルエンザなどにかかって長期的にアウトだなというときは、親が地方から飛んできてくれたこともありました。

 

番組が始まって1年後くらいに私が声帯結節になったときは、スタッフさんに早朝に電話をかけて「声が出ません」と伝えたら「大丈夫、大丈夫。出てるから来て~」と言われて(笑)。「いや、出てないでしょ!」とカサカサとした声でツッコんだのですが、「大丈夫!ミキサーさんたちと何とか調整してやってみよう」と言われたので、休まずに出演しました。DJの先輩にも声帯結節になっている方が多いので、職業病のようなものかなと思ったのですが、お迎えのときに保育園の先生に伝えると「私たちも何人もなっています。つらいの、わかります!」と言われて。声帯に負担をかけるところが共通していてびっくりしたことも発見でした。

 

PROFILE 近藤さや香さん

こんどう・さやか。1984年生まれ、愛知県出身。2009年からアイドルグループ・SDN48の1期生として3年間活動し、2016年からはFMヨコハマ『Lovely Day♡』 でラジオパーソナリティを務めている。プライベートでは結婚・出産・離婚を経て、現在は小学3年生の長男と2人暮らし。著書に『しあわせ護心術』(ワニブックス)がある。

 

取材・文/長田莉沙 写真提供/近藤さや香