高校卒業までアメリカのミシガン州で暮らしていた、元SDN48・近藤さや香さん。在米中のスクールバスではいつもラジオが流れており、「ラジオを仕事にしたいと思うようになった」そう。その夢は、社長秘書として働いていたある日、ひとつの募集告知を見たことで現実味を帯び始めます。(全3回中の1回)

英語を勉強したはずが「Draw a turtle」がわからず

── 近藤さんは小学校から高校まで、アメリカのミシガン州で過ごしていたんですよね。

 

近藤さん:はい。親の転勤で小学3年生の終わりくらいにアメリカへ行って、高校を卒業してから帰国しました。現地の小・中・高に通いながら、土曜日に日本人だけが行く補習授業校というところで、日本語が話せなくならないよう補習を受けていました。

 

新しい環境に飛び込むということで、やはり言葉には苦労しました。伝えたいことが何も伝えられなかったので、意思疎通がまったくできなくて、登校初日から大変だなと思いました。最初は英語が話せない海外出身の子たちがいるクラスに入るのですが、英語のレベルを上げていくためのテキストに「Draw a turtle」と書いてあって。それなりに英語を勉強していたはずなのに、外国の人しかいない空気感からか、亀を書くことすらできませんでした。いまだにその問題を覚えているくらい、ショックだったのだと思います。

 

一緒に渡米した弟はまだ2歳だったので、言葉自体がこれからという状態でキンダーガーデンに入ったんです。でも、私は日本語が最低限できる状態でアメリカに行ったので、イチから言語をやり直すことは、子どもなりにショックでしたね。

 

── 特に大変だった出来事はありますか?

 

近藤さん:学校のテキストができずに泣いている私を見た母が「どうしてサポートしてもらえないんですか?」と学校へ聞きに行ったことがあったという話を、あとから聞きました。一生懸命すぎて、いろいろなことがありすぎて、つらいという印象を持つ前に記憶から消してしまっていることが多いかもしれません。

 

── アメリカ生活に馴染めるようになったのはいつごろからですか?

 

近藤さん:中学校に進学するタイミングで同じミシガン州内で引っ越しをしました。そこで、友人を作るという作業が苦しく感じなかった気がするんですよね。おそらく、3~4年経ったころから「それどころじゃない」と思っていたことが「それどころ」にはなって、環境に馴染めるようになったのだと思います。

 

── 友人関係や部活動など、中学校・高校時代についても聞かせてください。

近藤さや香
チアリーディングをしていたアメリカ時代の近藤さん(左)

近藤さん:世の中がイメージするアメリカ人の、はっきり物事を言う、好きもはっきり言うけれど嫌いもはっきり言う感覚に対して、「きついなあ」とか「主張が強いなあ」と感じたことが一度もなくて。私のもともとの性格に合っていたからか、友人関係の部分ではすごくスムーズだったと思います。

 

部活はアメリカではひとつに決めなくてもシーズンによって変えられるので、中学校のときはバレーボールとバスケットボールを、高校のときはチアリーディングをしていました。演劇部も人気で、ミュージカルの発表時期になると部活として立ち上げられるので参加しました。照明や音響など裏方の仕事をして、すごく楽しかった記憶があります。

 

── 帰国後は慶應義塾大学に入学されました。日米の違いを感じる場面はありましたか?

 

近藤さん:両親や日本人の友人とは日本語で話していたのですが、日々の生活がずっと英語だったので、帰国して大学で授業を受けているときは全然ついていけませんでした。先生が日本語を書くスピードにも生徒がそれを書き取るスピードにも全然ついていけなくて、このままだとテストに落ちてしまうかもしれないというレベルだったので、友人にノートを貸してもらったんです。書き写すときにノートを見たら、友人の字がものすごくきれいで衝撃的でした。私の字は筆記体みたいな感じだったので(笑)、恥ずかしさもあってすごくつらかったです。

 

アメリカの小学校では、先生がテキストを読み始めるとみんなが床にゴロゴロと寝転がってページをめくったり、教室内のソファーで姿勢を崩していたり、リンゴをかじりながら聞いたりするのが当たり前だったんです。最初は「えーっ!」と驚いたのですが、慣れてくると自分が一番吸収できる態勢で授業を受けることを当たり前だと感じるようになっていて。もちろん、大人になるにつれて姿勢を正していくという教えはあるのですが、みんながきちんと着席してノートをとって講義を聞いて自分で理解するという日本の環境は、今までの環境とは真逆に感じましたね。

 

耳が慣れていないので、街で流れている音やテレビから聞こえてくる言葉を聞くと、まるで外国にいるかのような感覚になって、しばらくは逆カルチャーショックでした。

 

そのときにできた友人からは、「さや香って日本語下手だったよね」といまだにネタにされていて(笑)。「あの日本語がヤバかったさや香が、今は日本語で仕事してるの!?」と言われています。