生まれた直後に生死の境をさまよい、緊急手術で命を取り留めたという認定NPO法人日本こども支援協会の岩朝しのぶさん。33歳から2年ほど不妊治療をした経験から、「多くの女性に早い段階で不妊治療の正しい知識が必要」と話します。(全4回中の2回)
度重なる手術で「子どもは産めない」と告知
── 岩朝さんが不妊治療を始めるまでの経緯を教えてください。
岩朝さん:私はいろいろな臓器が不完全な状態で生まれたため、出産直後に緊急手術を受けて、臓器を形成し直す手術をこれまで17回受けてきました。そのなかでいろいろな経験を重ね、夫と出会い、結婚をしました。何度も手術をしたことで、中学生のころに医師から「子どもは産めない」と告知されていたので、そのことは夫にも結婚前に伝えていました。
ただ、生まれてすぐ受けた緊急手術では、担当医が私のために子宮を残す難しい手術をしてくれていたんです。そのことは常に頭にありました。30歳を過ぎたころ、不妊治療の専門クリニックができ始めて。「可能性があるか、聞くだけ聞いてみよう」と診察を受けたんです。そうしたら、医師から「卵子があるから、妊娠も出産もできますよ」と言われて。驚きつつも、素直に嬉しかったですね。「私が妊娠できるほど医学が進歩したんだ、すごい!」って。「じゃあトライしてみよう」と、33歳のときに不妊治療を始めました。
── 不妊治療を始めてからはいかがでしたか?
岩朝さん:何回か治療を重ねたのですが、結果が出ない状況が続いて落ち込みました。それまで、小学4年生まで長期入院していたものの、退院後は勉強や受験も頑張れば成果が出るんだという成功体験があったんです。でも、不妊治療では頑張っているのに結果が出ない。そんなことは初めてでした。「35歳くらいには妊娠するはず」などと考えていましたが、何回繰り返してもダメで。
その後、体調を崩したこともあってワンクールお休みしたのち、体外受精のなかでも妊娠率が高いと聞いていた「胚盤胞移植」という、受精卵を培養してから子宮に着床させる方法に挑戦しました。でも金銭的にも負担が大きくて…。「これがダメだったら別の選択肢も考えよう」と覚悟を決めて臨んだんです。ところが、妊娠判定を待っている間に突然39度を超える高熱が出て、緊急入院。卵管のう腫という病気でした。その入院先で、医師から怒られてしまって…。
「この体で妊娠なんて…なんて無責任な」と叱られ
── 高熱を出して苦しんでいるのに…なぜ怒られてしまったのですか?
岩朝さん:「いろいろな内臓を形成し直す手術を16回繰り返している体で、10か月間も赤ちゃんを育てることはできない。もし出産するなら、早産を想定した帝王切開になる」と。度重なる手術で何か所も癒着しているから、帝王切開ができる産婦人科はおそらく見つからないだろうとも言われました。そのドクターは「その不妊クリニックはなんて無責任なんだ」と怒っていましたね。
── それはおつらかったでしょう…。その後どうされたのですか?
岩朝さん:「どうしても妊娠出産を希望するなら、帝王切開の手術ができる産婦人科を見つけたほうがいい」と言われて、いろんな産婦人科に問い合わせました。でも、ドクターが言う通り、1軒も見つからなくて。ある病院からは「死にますよ」と言われました。それを聞いた夫に「きみと一緒にいたくて結婚したのに、子どもを産むことできみを失うなんて本末転倒だ」と言われ、たしかにそうだと納得したんです。でも、私は本当に子どもが大好きで…子どもがいない人生なんて考えられませんでした。
ただ、不妊治療をしている間に、たまたま「里親のボランティア募集」という記事を見つけて。中学生のときに友達が「里親のところに行くから」と引っ越していったことをふと思い出し、「もし産めなくても里親という選択があるんだ」と、少し気持ちが前向きになったんです。
その後、初めて里親制度の啓発ボランティアに参加したときに、親と暮らせない子どもたちの現状を知りました。いまや保護者がいない子どもや虐待に遭っている子どもが約4万2000人。その約8割が児童福祉施設で暮らしています。約20年前は、社会的養護が約3万6000人、里親委託率は11%程度でしたが、その現状を知った当時は、とにかくショックで。それ以来ずっと、自分の中でモヤモヤしていました。