知的障害を持つ自閉症の娘さんを育ててきたブロガーの桜井奈々さん。娘さんは18歳を迎え、この春から障害者枠就労で働き始めたそうですが、就学も就労もひと筋縄ではいかないものがあったそうです。(全3回中の2回)

「それもやりました、これもやりました、やりつくしてこうなんです!」

桜井奈々さんと娘さん
動物園に行っても動物を見る余裕もなく娘を追いかけ回った

── 娘さんは1歳6か月検診のときに「様子を見る必要がある(発達障害のグレーゾーン)」と告げられ、2歳10か月のときに知的障害ありの自閉症スペクトラム(当時は広汎性発達障害)との診断が出たそうですね。10歳ごろまでは子育てが本当に大変だったとか。

 

桜井さん:当時、娘は言葉が出るのが遅かったんです。保健師さんから「本をもっと読んであげてください」と言われるのですが、娘は集中力がなく多動もあり、読み聞かせようとしてもじっとしていられない。周囲からは「テレビばかり見せて、子どもに話しかけてないんじゃないの?」と疑われることもありましたが、テレビさえじっと見られない娘なので、それも考えられない。娘の事情を知らない人がいろいろと言ってくるなかで「それもやりました。これもやりました。やりつくしてこうなんです!」と、伝えたくなるような場面は何度もありました(笑)。でも、周囲の人に「教えても理解できない。正論が通じない」という娘の状況をわかってくださいというのは難しいですよね。私自身、経験して知ったことなので。

 

じっとすることができず動き回る娘に手を焼いていると「しつけができてない」と、知らないおじさんに杖でベビーカーだけでなく、親の私自身が叩かれたこともありました。つらいことが多かったですけど、スーパーのレジで並んでいるときに娘が列に並ぶのが難しい状況に「先にどうぞ」と言ってくださったり、優しく助けてもらえたときは本当に嬉しかったです。

 

── 壮絶な毎日と向き合っているのに、事情を知らない人たちから不本意な言葉をかけられるのはつらいですね。

 

桜井さん:やはり世の中的にイメージする子育てというのは「健常児の子育て」であって、「障害のある子の子育て」というのは限られた人しか知らない現実があるので仕方ないのですが、「言えばそのうちできる」「やっていればそのうちできる」そう思われてしまうとやっぱり苦しいですね。

 

日本では普通のお母さんでさえ、求められることが多いなかで、障害児のお母さんは求められることがさらに多い。子どもをじっとさせる、騒がせない、泣かせないとか…。本当に難しくて、失敗が許されない。そんなプレッシャーにも耐える日々でした。でも、娘が10歳くらいになって、ようやくラクになりました。理解力が多少つき、落ち着いていられる場面が増えたのかなと思います。

 

桜井奈々さんの娘さん
カメラを向けるとポーズをとるように

── 幼稚園入園のときは、入園前のプレスクールに問題なく通えていたのに、障害児であることを告げると「トラブルを起こす可能性があるから」とその場で入園を断られたそうですね。小学校進学でも難しいことがあったとか。

 

桜井さん:娘は知的障害ありの自閉症で、小学校は「特別支援学級」か「普通学級」かで悩みました。今と違って当時は、小学校入学時に道を選んだらその後になかなか変更ができず、その後、義務教育の期間中は、中学も特別支援学級で学び、そのあとも特別支援学校に進む流れでした。6歳でそれを決める勇気がなくて、すごく悩みました。それに高校と違って、特別支援学校を出たあと、どうやって生きていくのかということも想像ができませんでした。ただでさえ幼い娘を18歳で働かせるなんて…と。

 

いろいろ悩んだのですが結局、普通学級に在籍しながら、週に何時間か個別の指導を受ける「通級」を利用する形での入学になりました。また、娘の気持ちも尊重しました。「知的障害があれば特別支援学級へ」と言われても、娘は「女の子がいるところがいい」と。就学相談の判定は「特別支援学級」でしたが、見学に行ったら本当に女の子が少なくて、それも娘にはネックだったようで「行きたくない」と言っていました。

 

ただ、勉強がついていけるかは、また別問題でした。実際、娘は黒板を写すことが苦手でした。先生に入学前に相談したら「1年生のあいだは簡単なことを学ぶし、板書もそれほどではない」とおっしゃってくださり、個別のプリントを配って対応してくださることに。本当に感謝しかありませんでした。入学式前に、入学式の練習をさせていただいたりなど、先生方には大変お世話になりました。心配していた小学校生活ですが、特にトラブルなく過ごせました。

 

小学校入学時は本人のモチベーションはあったので、「勉強ができなくてもいいから、小学校に楽しく参加できれば」という思いでした。4年生のときに転校をしたのですが、転校先でも通級を希望しました。ただ、住んでいた区が知的障害があると通級ができず、どうするか悩みました。でも、1〜3年生までやってこれましたし、転校先が少人数で1クラスの学校だったこともあり、高学年は普通級でスタートしました。さいわい5・6年時の担任の先生がもともと特別支援学校の先生で、対応に慣れていらっしゃったこともあり、続けることができました。偏食で給食も食べなくてもいい、宿題は別の出せるものだけでもいいと、いろいろ配慮してくださいました。クラスのお友達もいい子達ばかりで。本当にいろいろと恵まれていたと思います。