知的障害を持つ自閉症の娘さんとの生活の様子をブログで発信しているブロガーの桜井奈々さん。手が繋げない、ベビーカーにも乗れない娘さんとスーパーに買い物に行くことすらままならず、日常生活が次第に崩壊していきます。(全3回中の1回)

診断名がつくまでは「暗黒の日々」だった

生後2か月の頃の桜井奈々さんのお子さん
生後2か月の頃。とにかく手のかからない赤ちゃんだった

── 娘さんの障害がわかった経緯について教えてください。

 

桜井さん:最初は1歳半の集団検診のときです。検診ではいろいろなブースを巡るんですけど、回っていくうちに名前を呼ばれるのが最後になっていき。「なんでだろう?」と思っていたんです。でも最後に残されて、医師から「発達の遅れの様子を見る必要がある」と言われました。

 

── 発育に関してお母さんからも気になる点はあったのですか?

 

桜井さん:実は薄々感じていたんです。赤ちゃんなのに、あまり泣かず良く寝る子で感情的な反応が少ないというか人に関心がない様子もあり、1歳半まで全然、手がかからなかったので。何か違うなと(笑)。周りの子を見て、娘は圧倒的に何もできないなって。母子手帳に発育のチェック項目があるのですが、できないことが多くて、ほとんど「いいえ」に丸をしていました。

 

さらに集団検診でのこともあったので「決定的に何かあるんだな」と思いました。私は何か問題があれば早く知りたいし、ズバッと言ってもらいたいので「娘には障害があるんですか?」と聞いたのですが、明言はしてくれませんでした。あとから考えたら「きちんと検査をおこなったうえで」ということだったと思いますが、「まだなんとも申し上げられません。とりあえず様子を見てください」とだけ告げられました。だから、こちらはどうしたらいいのかわからず、ただ困惑するだけでした。

 

──「どこの病院で検査を受けるように」など、保健師さんから具体的な指導はあったのでしょうか?

 

桜井さん:いや、それが何もなくて。「とりあえず様子を見てください」と。発育に対して気になる点があると指摘はしてくださるんですけど、その後のフォロー体制がないというか。当時はそこそこ大きい都市に住んでいたんですが、「市内で診られる病院がないので、ご自身で病院を探してください」と、突然荒波に投げ出された感じでしたね(笑)。

 

厳密に言うとまったくないわけではなくて、発育に気になるところがある親子向けのグループの集いが月1回程度ありました。でも、定員は5人で、空きはありませんでしたから、もはやないに等しい感じで。「そういう場に参加したいなら、民間のものを探してください」と言われました。そもそも娘がどういう状態なのかもわからないのに、「自分で調べてください」「また半年、1年後にフォローアップに来てください」と言われて。「その間はずっと待つだけですか?」と聞くと「そうですね」と。初めての子育てでただでさえ右も左もわからないのに、不安だけ煽られて放置されたみたいで、途方に暮れました。

 

「あー、これが現実か。これが世の中なのか」って。指摘するならフォローしてくれるだろうと期待してしまった、自分の世間知らずを痛感しました。くよくよしてばかりいられないので、近隣の市で病院の予約を取ろうとしたのですが、受診は最短で半年後と言われてしまいました。

 

1歳3か月の頃の桜井奈々さんのお子さん
1歳3か月。動き出したら後を追いかける毎日が始まった

赤ちゃんのころは寝ているだけで手がかからなかった娘が、1歳半を過ぎて歩き始めてからはどんどん大変になってしまい。手が繋げない、コミュニケーションがとれない、じっとしていられない。10歳くらいまで本当に大変でした。拘束されるものはすべて嫌がるので、私ひとりではどこにも連れて行けなかったんです。抱っこしようにもえび反りになるし、ベビーカーにも座っていられないから、スーパーにすら行けません。もう日常生活が崩壊しました(笑)。

 

そんな子育てが始まると、孤立するというか、もう「闇」でしたね。週末などに、ほかの家族連れを見るのが嫌で、つらくなってしまう。家で娘と2人だけなら比較するものはありませんが、外のご家族を見てしまうと別世界。ママ友なんかできる暇もなく、ベビー雑誌を読んでは「月齢でできることが娘と違う…」と落ち込んだり。最終的に、娘が2歳10か月のときに医師から知的障害ありの「広汎性発達障害」と診断がつきました。

 

── ようやく診断が告げられたときのお気持ちはいかがでしたか?

 

桜井さん:やっと診断が出たと、すっきりしました。ホッとしたところが正直大きかったです。それまで娘のことで育て方の問題なのかと悩んだりもしたし、外出先で白い目で見られることも多くて。同じ月齢の子とようすが違うので、「親の教育ができていない」という目で周りから見られたりすることもしょっちゅうでしたから。診断がつかず、グレーの状態というのは本当に地獄でした。私自身も方向性をつかめず、娘とどう接していいのかわからない状態でしたから。育て方の問題ではないとわかり、救われました。