求められる仕事の質や量、それに本人の向き合い方によって、心身が異常をきたすこともあります。大手企業に入社した年にそれほどの負荷を負った石井てる美さん。そこからエリートコースを歩まず、畑違いの芸人を目指した理由とは?(全3回中の2回)

夜中に胸が締めつけられる痛みで飛び起きて

マッキンゼー時代の石井てる美さん
マッキンゼー時代の石井さん

── 2008年にマッキンゼーに入社し、コンサルタントとしてのキャリアをスタートされました。仕事は激務だと聞きますが、いかがでしたか?

 

石井さん:とにかく多忙でしたね。強制されているわけではないのですが、深夜まで働くことが多かったですし、資料作りに追われて、気づけば空が明るくなっていたことも。当初はハードワークではあったものの、提案したものがクライアントに喜んでもらえると役に立てたことが実感できて、嬉しかったです。ところが、その後だんだん苦しい日々へと変わっていきました。

 

── なにかきっかけがあったのでしょうか?

 

石井さん:入社した2008年秋にリーマンショックが起き、その影響で社内でのプロジェクトが一時的に減ってしまったんです。経営コンサルタントは自分自身が商品のようなものなので、 「まずは社内で買われてクライアントのプロジェクトに入ってナンボ」というところがあります。優秀な同期は、相変わらずクライアントのプロジェクトを担当できているのに、自分には仕事が回ってこない。いま思えば状況がよくなるのを待てばいいだけだったのですが、当時は取り残されていくようで、焦りが募りました。

 

年明けになって、ようやくチャンスがめぐってきて、あるクライアントのプロジェクトに入ることができたんです。ところが、その内容が難解でついていけなくて。担当者は外国の方でやりとりはすべて英語。英語は得意なはずなのに、プロジェクトのレベルが高すぎて話の内容が理解できず、コミュニケーションもうまくいかない。必死になって四六時中、資料とにらめっこするものの、頭に入ってこない。クライアント先に常勤していたので、同期と話をして息抜きすることもできず、相談できる相手もいません。思うような成果があげられず、社内評価が下がってしまうことにおびえ、どんどん気持ちが追い込まれていきました。

 

週末になると過呼吸になり、ストレスで体がパンパン。だんだん食事がのどを通らなくなり、朝、大豆バーを1本食べたら終わり、という生活に。あるとき、心臓のあたりがキュッと締めつけられるような痛みで夜中に飛び起きることが続きました。当時は循環器内科に行ったので原因がわかりませんでしたが、10年後に十二指腸潰瘍の跡が2つあると言われたので、そのときできたものなのではないかと思っています。

「死んだほうがラクかも…」思い詰めていたときに聞いた先輩のひと言

── 気持ちが追いつめられ、体が悲鳴をあげたのですね。

 

石井さん:いま思えば、「私には合っていないのでプロジェクトから降ろしてください」と言えればよかったんです。でも当時は「ここで評価されなければ」と思うあまり、できませんと言えなかったんです。「ついていけない私がダメなんだ。もっと優秀ならできていたはず。努力がたりないせいだ」と、自分で自分を追いこんでしまいました。つねに成果を求められ、シビアな評価にさらされ続けるプレッシャーで、どんどん気持ちが萎縮していく。苦しかったですね。

 

そんなとき、尊敬する先輩に「なぜそんなに結果が出せるのですか?」と聞いたんです。そうしたら「俺の居場所はここだけじゃないと思ってるから」とサラリと言われ、衝撃を受けました。「自分にはここしかないから、絶対いい結果を出さなきゃ」と思うほど、余裕をなくして力んでしまい、パフォーマンスが落ちていく。「いまいる場所がすべてではない」と言いきれる先輩はすごいなと。ただ、当時は先輩の言葉を素直に受け入れられず、「私は絶対にマッキンゼーで評価され、ここに残るんだ」と、かたくなに思っていたんです。

 

大学4年生のとき、デンマーク・オーフスでのインターンシップを経験

でも、どんどんメンタルが不安定になって、そのうち、「いなくなりたい。死んだほうがラクかもしれない」とまで考えるようになってしまいました。

 

── つらい経験をされたのですね。そこから一転して、会社を辞めて芸人になることを決意されます。どんな心の変化があったのでしょうか。

 

石井さん:極度の精神状態まで追い込まれたことで、「死のうとまで思ったのだから、失うものは何もない。どうせ死ぬのであれば、本当にやりたかったことに挑戦してからにしよう」と思ったんです。本当にやりたいことってなんだろうと考えたときに、一番に思い浮かんだのが芸人でした。

 

子どものころからずっと周りを笑わせる盛り上げ役で、学生時代は学園祭で企画から出し物までこなし、ステージではダンスを披露したりして。友だちに、「エンターテイナーだよね」と言われ、すごく嬉しかったんですね。ロジカルに物事を考え、よそいきの声でプレゼンするよりも、ひょうきんな私を思いきり出して、人前で表現するほうが、よほど自分らしいと気づきました。

 

ずっと「いい学校に入って、いい会社に入ること」がまっとうな人生で、芸人になるなんて現実味のない話だと思っていました。でも、高校を卒業するときのサイン帳を見たら、「将来は芸人になっている」と書いていたんです。きっと心の奥底では、ずっと憧れがあったのでしょうね。そこで、ワタナベエンターテインメントのお笑いの養成所の門を叩きました。