映画監督としても高い評価を受けているお笑いコンビ・ガレッジセールのゴリさん。来年始めに公開される映画『かなさんどー』にも注目が集まっています。「第40回モスクワ国際映画祭」に出品された前作『洗骨』と同様、家族の死を描いた背景には、実母の死が色濃く影響しているといいます。(全4回中の3回)
生まれて初めて母親とふたりきりで過ごした48時間
── 前作の『洗骨』では、人が亡くなってから4年後、家族がその骨を丁寧に洗うという粟国島の風習「洗骨」を中心に、登場人物たちの一筋縄ではいかない人生が描かれています。最後のシーンでは思わず声を上げて泣いてしまいました。ゴリさんが死生観を意識したきっかけはありますか?
ゴリさん:母の死の影響は大きかったです。母が亡くなった後、お通夜のために沖縄に帰ったんですね。僕は、2時間で燃え尽きる長い線香の火を消さないように見張りをしながら、48時間、畳の部屋で母の遺体の真横に寝転んでいたんです。うとうとして目が覚め、母の顔を見ながら髪をなでていたら、それまで母の髪を触ったことなんてなかったなと気づいて、「こんなに細くて柔らかったんだ」って。でも、体は冷たくて。「やっぱり死んでいるんだよな」なんて思いながら、ずっと添い寝していました。
こんなふうに長い時間、母と一緒にいたのは初めてで。僕は6歳のころから大阪の叔父叔母に預けられて、母と離れて暮らしていたから、やっぱり母を恋しく思ったことはありました。それに、うちはもともと共働きで、小さいころから両親は家にほとんどいなかったから、母と一緒に過ごしたり、甘えたりという記憶もほとんどなかったんですね。
── それは寂しかったでしょうね。
ゴリさん:そうですね。だから、亡くなった母の隣で添い寝していたとき、「こんなに母ちゃんと一緒に過ごすのって生まれて初めてかも」なんて考えて。それで、「でも俺、この人がいなかったら生まれてないんだよな、母ちゃんもその母ちゃんが生んでくれたんだよな」って、どんどん自分の中で命がつながっていって。それがきっかけとなって、『洗骨』の脚本を一気に書き始めました。「祖先が生きることを諦めず、命のバトンを子孫に渡し続けたから今、俺がいるんだ、すげえ」って。そうした実感があったから、映画を通して「死と誕生」を描くことができたんだと思います。
あの脚本が書けたのは本当に母のおかげ。だから、エンドロールには「照屋エミに捧ぐ」と献辞を載せました。親父と兄貴2人は、劇場で映画を観たときにそれに気づいて号泣したらしくて。試写会後、長男が運転する車で帰宅したときに、親父がポツリと「俺も死んだら洗骨してもらいたいな」って言ったそうです。そしたら長男がすかさず「洗骨はめんどうだから火葬で」って返したらしくて(笑)。実際、父は火葬で見送りました。ごめんな親父。