10年間入退院を繰り返した母親の死への後悔
── 本名である照屋年之の名義で、映画監督としてもご活躍です。長編映画『洗骨』、来春公開の新作『かなさんどー』ともに、家族の死と生を描いた作品ですが、ゴリさんが死生観を意識したきっかけはありますか?
ゴリさん:やっぱり、母親の死ですかね。母親は闘病生活が長くて、10年くらい入退院を繰り返していたんです。沖縄の病院にお見舞いに行って、「おっかあ、元気?どんなね?」って声をかけるんですけど、いつも「まだ死なない」と思っているから、30分もしないうちに「また来るね」って東京の生活に戻る、というような感じで。
もちろん、「この日に死にますよ」って先にわかっていれば、もっと会話しようとしたり、母の話をゆっくり聞いてあげようとしたと思います。でも、いつも「まだ元気だから大丈夫」って思ってしまっていた。母が亡くなった後は、そのことへの後悔をずっと引きずっていました。「1日中、病院の天井を見続けるしかなかった母親の気持ちをわかってあげられなかったなあ」って思ってしまうんです。
入院中は、母がリクエストした島倉千代子さんの『この世の花』と八代亜紀さんの『雨の慕情』を、母の耳元にスマホを置いて聴かせていました。いつも、誰かとの思い出に気持ちを寄せるように聴いていた気がします。それは、誰かとの昔の甘い恋のことだったのかな、わからないですが、少なくともうちの親父ではなさそうだなと想像していましたけどね(笑)。
そんな入院生活が続いて、僕が東京に戻った後、兄貴から「もう危ないかも」って電話があって。沖縄にすぐ向かったんですけど、病院に着いたころには危篤状態で、会話もできなくなっていました。結局、僕は死に目にはあえなかったのですが、「もっとゆっくり話を聞いてあげたかったな」と後悔していたんです。
でも、親を亡くした知人はみんな僕と同じことを言うんですよ。「もっとこうしてあげればよかった」って。そのとき、「ああ、みんな後悔するんだなあ」って思ったんですよね。だから、今では同じ経験をした人がいたら「あなたは悪くないよ」って声をかけています。「後悔していいんだよ」って。
それに、後悔の想いは、亡くなった人に対する成仏へのお土産だとも思うんですよね。お彼岸とかに仲間同士で集まって、亡くなった人のことを思い出して、そこで後悔することも供養だと思うんですよ。後悔して、自分を責める、その行動が100点なんだと思います。なんて、そう言いながら実は自分を慰めているような気もしますけど。
いっぽうの父親は、コロナ禍に亡くなりました。最期も簡単な会話しかできない状態でしたが、「ビール飲みたい?」って書いた紙をガラス越しに見せたりして、どうにか意思疎通していましたね。結局、親父の死に目にもあえなかったんです。でも「今ごろ天国で夫婦一緒にいるだろうから、まぁいいかな」と思っています。
PROFILE ガレッジセール・ゴリさん
本名・照屋年之(てるや・としゆき)。1972年、沖縄県出身。1995年に相方の川田広樹さんとお笑いコンビ・ガレッジセールを結成。バラエティ番組、ドラマなど、芸人としてだけでなく俳優として、また2009年からは監督した映画が高い評価を得る。2025年年始めには、照屋年之としての監督映画『かなさんどー』が公開予定。プライベートでは2児の父。
取材・文/高梨真紀 写真提供/ガレッジセール・ゴリ