養成所では「外部とのやりとりは手紙だけ」

── プロ選手養成所の生活はいかがでしたか?

 

高松さん:携帯電話やパソコンが持ち込み禁止の環境で、外部との連絡は手紙のやりとりのみ。朝から晩まである練習はとてもハードでした。でも、家事は自分の洗濯だけすればいいし、食事は上げ膳据え膳。自転車の練習だけに集中できるから、天国みたいだなと思いました(笑)。

 

当時、生徒の平均年齢は27歳でした。やっぱり若い人は練習したぶん、記録が伸びていくんです。私の成績は下から数えたほうが早いし、記録もなかなか伸びなくて…。でも、まずは現状維持することを目標にしよう、ひとつでもできることが増えればいいんだと思って続けていました。もし若いときだったら、ほかの人たちに先を越されて落ちこんでいたかもしれません。でも、そのときの私は50歳でさまざまな経験を積んでいました。多少のことではへこたれず、周囲の状況に振り回されず、目の前のことだけに集中できたと思います。

 

── 2012年7月、50歳でプロデビューしたときはどんな気持ちでしたか?

 

高松さん:最高齢でプロとなったので、周囲から注目されることが多かったです。でも、自分のできることをするしかないと思っていたので、プレッシャーはそれほどありませんでした。2012年12月に初めてレースで1着になったときは本当にうれしかったです。応援してくれた人たちもみんな喜んでくれて、ようやく恩返しできた気がしました。2013年、51歳での勝利は、ガールズケイリンでは最高齢勝利記録でした。

 

── 48歳から競輪の世界に飛びこんだのは勇気が必要だったと思います。新しいことに挑戦する秘訣を教えてください。

 

高松さん:本当にやりたいこと、好きなことを見つけることではないでしょうか。「これがやりたい」というものは、どんどんのめりこんでいくし、情報を得ようと自然とアンテナも高く広げると思うんです。するとチャンスが舞いこみ、道が拓けていく気がします。もちろん、挑戦だけがすべてではありません。現在の生活を大切に過ごすことも素晴らしいことです。でも、もし夢中になる何かを見つけたいなら、ワクワクする気持ちに素直になり「いましかできないこと」を選ぶのがいいと思います。もし年齢を重ねてから好きなものに出合ったのだとしたら、それがその人のベストタイミングです。これまでの経験も、きっと役に立つにちがいありません。

 

PROFILE 高松美代子さん

たかまつ・みよこ。元女子競輪選手。1962年大阪府生まれ。水泳、トライアスロンなどを経験後、多くの自転車のロードレースで優勝を重ねる。2011年、日本競輪学校の女子第1期生に。2012年、女子選手の最高齢50歳でプロデビュー。2017年4月現役引退。現在は日本競輪選手会指導訓練課に所属し、ガールズケイリンのサポート業務を行っている。

 

取材・文/齋田多恵 写真提供/高松美代子、公益財団法人JKA