2002年に多摩川などに現れて一代ブームとなり、同年の流行語大賞にもなったアゴヒゲアザラシのタマちゃん。当時発足された「タマちゃんを見守る会」は、会の名前からはおよそ伺いしれない硬派な面も!聞けば出てくる驚きの実態。「DNA鑑定」から「秋篠宮さま」まで、話はつながっていきます。(全2回中の2回)
シンポジウムでアザラシの生態を研究発表も行う
1頭のアザラシに見惚れて、集まった人たちが「タマちゃんを見守る会」を結成し、タマちゃんが護岸に現れては、その行動を観察したり、写真に収めたり、タマちゃん愛があるだけの会…と思いきや、その活動は思いもよらない研究機関の姿でもありました。
「もともとはタマちゃん好きが集まり、定期的に会合を開くなどをしていたのですが、いつしか、その生態や生息まで調べたりするようになりました。たとえば、あるとき、タマちゃんが激太りをしていることがありました。その直前でタマちゃんにどんな変化があったかというと、うなぎを捕食していたからだと日々のメモで気づいたんです。そうすると、体が重いから護岸に乗れない。なんとか休む場所を探して、川岸に停泊しているボートの間をウロウロしたり。実際に休息をとった場所や水中睡眠の潜水時間などの統計をとるようにもしました」
ただ、生物の専門家でもない人たちが、どうしてそこまで深く追求できたのでしょうか。
「タマちゃんがいなくなった後、観察する時間がなくなったぶん、考える時間が増えました。2年間のデータを整理し、わからなかったことを調べたりしましたね。国際的なシンポジウムにも参加して、『都会に現れたアザラシの生態』を発表したこともあります。ですので、タマちゃんを見守る会はただ、思い出を語る会として続いているわけではありません。ある種、専門家に近い研究をしている会と言えます」
じつはそうした活動の原点は、会を発足させるきっかけになった写真展の開催にまでさかのぼります。
「タマちゃんが多摩川に現れた2002年の11月に写真展を開いたのですが、江ノ島水族館の館長(当時)だった廣崎芳次さんが、私たちの活動を見てほめてくれました。会をサポートするべく、『もっと皆さんの調査活動の手伝いをしたい』と申し出てくれたのです」
オホーツクとっかりセンター(通称:あざらしランド)の館長さんも、「自分たちのセンターで長年多くのアザラシの保護や飼育をしているから、力になりたい、もっとその生態について教えたい」と、会合にも参加してくれるようになります。
タマちゃんのことで「警察」「DNA鑑定」「皇族」…世界が広がった
「タマちゃんを見守る会」の調査活動は、警察や自治体への協力にもつながったそうです。 タマちゃんが安全に生息できるよう、ふだんの様子について情報提供をしたといいます。
「あるとき、タマちゃんを捕まえようと白装束の人が網を張っていました。当時も現在もアザラシを捕まえても罪になるような法整備(動物愛護管理法)がなされていませんでした。だから、警察も手は出せない。ただ、当時は7年前にサリン事件が起きた影響もあり、白装束の人たちの捕獲行為に対して、私たちも不安を覚えていました。実際、警察や多摩川を管理する河川事務所の方が集まって、タマちゃんを保護すべきか否かと対策を考えていました。我々はタマちゃんの現状を詳細に知らせて、対応の材料を提供しました。結果的に、所有者のいない自然動物でもあり、保護する際のケガのリスクがあることから、見守る結論に至りました」
極めつけはDNA鑑定騒動です。捕獲騒動が起こってから、タマちゃんはしばらく姿を現さなくなりましたが、神奈川県・中川に突然、あざらしが出現。「同じ個体(タマちゃん)なのか?」とメディアでも話題になりました。
「そのアザラシがタマちゃんなのかを確認するために、DNA鑑定を行うことを考えました。以前、タマちゃんが護岸に上がったとき、尾に傷がついて、コンクリート路面についていた血や毛を採取していたし、中川に現れたアザラシについても、ボートに付着していた血や体毛を同様に採取していたため、それらを元に鑑定できないかと」
ところが、大学や研究機関にDNA鑑定の協力を依頼しても、「アザラシのDNA鑑定の知見も経験もない」と快諾を得られません。
「アザラシのDNAに関する論文もなければ、そもそもDNA鑑定をして個体として認識されるのかさえわからない。そこで、とっかりセンターにも依頼をして、N数として同センターで飼育する2頭のサンプルを収集。タマちゃんのDNAと比較することで、鑑定に信ぴょう性が出るように働きかけました」
結果的にNHKや家畜改良技術研究所が費用を捻出してくれることになり、DNA鑑定にこぎつけました。半年後にようやく結果がわかり、中川に現れたアザラシはまぎれもなく「タマちゃん」だったと判明したのです。実に高級外車が1台買えるくらいの鑑定費用だったそうです。
さらに、会は驚くべき展開を見せます。2003年2月、北海道立オホーツク流氷科学センターでのシンポジウムに参加したときのことです。
「私たちは都会に現れるアザラシのデータや生態について発表しました。終了後、別室に呼ばれたのです。そこには来賓として参加されていた秋篠宮殿下(現・文仁親王)がおられました。ご自身の理学博士の目線から、我々が今回発表した内容について直接お言葉をいただいたんです。観察・調査資料として素晴らしく、水平展開していろんな人に知ってもらうために本にまとめたほうがいい、とお話ししてくださいました」
同席していた紋別の北海道民友新聞社の会長から「作りましょう」との声がかかり、協力を仰ぎながら『大都会の小さな野生 知恵・勇気・希望をくれたアゴヒゲアザラシ タマちゃん』を出版。会の顧問になっていた廣崎さんが昭和天皇と近い関係にあったこともあり、その後も相澤さんは秋篠宮邸に足を運び、話をしに行ったり、著書の進呈をしたりしました。別の講演会にも殿下がいらして、交流を深めたといいます。
多摩川に現れた1頭のアザラシとの出会いで広がった世界。「タマちゃんを見守る会」の壮大な活動はいまも続いています。
取材・文/西村智宏 写真提供/タマちゃんを見守る会