湘南ベルマーレなどで活躍した永里源気さんは、地元・神奈川県厚木市で4人のお子さんを育てています。特別支援学校に通っている中学2年生の長男・大和さんは、3歳を迎えるころに重度の知的障がいと自閉スペクトラム症の診断を受けました。(全3回中の1回)

1歳半健診では経過観察も「何かある」と受診したら

とびっきりの笑顔を見せる3歳のころの大和さん

── 大和さんの診断に至るまでの経緯を教えていただけますか?

 

永里さん:妊娠中の経過は順調だったし、最初のころは、ぼく自身はあんまり深く考えていなくて、「発達がちょっと遅れてるだけじゃない?」みたいな感じだったんです。でも妻は、1歳前になっても発語がなかったり、名前を呼んでも反応しなかったりと、2歳上の長女の同じ時期に比べると発達がゆっくりだと思っていたみたいで。「何かある、何かある」とずっと心配していました。

 

1歳6か月健診のときにお医者さんに相談したんですけど、「2歳までは経過を観察しましょう」と言われて。妻は自分でいろいろと調べて「こういう行動ってまさにこれに当てはまるよね」とすごく気にしていました。やっぱり何かあるかもしれないという話になって、当時在籍していたヴァンフォーレ甲府の関係者の方が病院に勤めていたご縁で、詳しく診察していただくことになりました。

 

小児神経科で脳のMRI検査や血液検査、耳が聞こえているかどうかなどをひと通り検査した結果、「そういうところに問題はないよ。ただ、知的障がいや発達障がいが疑われるから専門機関を紹介します」と言われました。そこからは月に1回、病院でPT(理学療法士)やOT(作業療法士)、ST(言語聴覚士)のリハビリを受けるようになったんですけど、大和が3歳になる前にガイナーレ鳥取への移籍が決まったので、家族で引っ越すことになったんです。

 

甲府の病院からの紹介状を持って鳥取の病院を受診したら、診断書に「精神発達遅滞」「自閉スペクトラム症」と書いてあって。「あ、そうなんだ」と。そのときに初めて正式な病名を知りました。その後は、鳥取の児童発達支援センターに通うようになりました。

 

── 正式な病名がわかったとき、どのような心境でしたか?

 

永里さん: やっぱり悩むには悩みました。でも、診断を受ける前と受けたあとで何かが変わったか?と考えると、何も変わらなかったんです。自分の息子は自分の息子だし、大和は大和なので。ただ、当時のぼくは「自分の子だから、自分たちで見なきゃダメだよね」という気持ちがめちゃくちゃ強くて、療育をしてくれる施設やデイサービスなどに通わせることに関してはすごく抵抗があったんです。

 

いっぽう、妻は「大和がいることで、お姉ちゃんや妹に自分たちがやりたいことや行きたい場所を我慢させ続けるのは違うよね。ずっと家にいることが本当に大和のためになっているのかと言ったら違うよね。『使ってください』と行政が用意してくれているサービスを利用して、療育してくれるところで家族以外の人と関わるのも、大和にとって大事なことだと思う」と言っていて。鳥取で診てくれた先生も「大和くんはいろんな人と関わりを持って、いろんな刺激を与えたほうがいいですよ」と言ってくださったので、大和だけが自分の子どもじゃないんだし、みんなのためにも施設に通うことは必要かもしれないな、考え方を変えなきゃいけないなと思うようになりましたね。