「脳性まひの車椅子ママ」として子育てに励む様子をSNSやブログで積極的に発信している北海道在住の千葉絵里菜さん。東京で出会った男性と結婚し、妊活を経て今年の2月に女の子を出産しました。妊娠中や命がけで臨んだ出産について振り返ってもらいました。(全3回中の3回)
排卵障害や子宮外妊娠を乗り越えて命がけで出産
── お子さんについては夫婦で結婚前から話し合っていたのですか?
千葉さん:いえ、特に話していませんでした。それどころか私はもともと生理不順で、妊娠しにくい体質だということがわかっていたんです。はっきりわかったのは上京して、東京パラリンピックのキャスターの仕事を始めてからでした。トイレに振り回されない生活をするため尿カテーテルを入れようかとMRIを撮ったら黒い影があり、子宮筋腫でした。さらに後の検査で多嚢胞性卵巣症候群もわかり、排卵障害があることが判明。ピルを飲みながら治療していました。
結婚後「やっぱり子どもが欲しいね」という話になり、多嚢胞性卵巣症候群の治療をしている都内の大学病院で担当医師に相談したら、「いろんなリスクがあるので自分だけの判断ではちょっと決めかねる」とのお返事だったので、ムリなのかな…という気持ちはありました。その後、私の故郷・北海道帯広市で結婚生活を始めた際に札幌医科大学付属病院を訪れました。「私のような重度障害者でも子どもを産めますか?」と聞いたら、「大丈夫ですよ」とのお返事をもらい、産む場所を確保。普段の検診は地元の病院で受けられるよう提携してくれて、不妊治療を始めました。
── その結果、娘さんを授かったのですね。
千葉さん:実は娘を出産する前にも一度妊娠していたのですが、そのときは子宮外妊娠でした。腹痛や症状が全然なく、妊娠検査薬で陽性だったので「え、妊娠してるの?」と喜んで病院へ行ったら、子宮内に赤ちゃんの袋(胎嚢)が見えないと言われて…。その後、腹痛が出てきたので、すぐに左の卵管を摘出する腹腔鏡手術をしました。
悲しい気持ちはあったのですが、数か月後、諦めずにタイミング法での妊活にトライして、二度目の妊娠をすることができました。一度は失った赤ちゃんが戻ってきてくれた気がして、私も夫もすごく嬉しかったのを覚えています。今度は順調に赤ちゃんが大きくなっていったのですが、地元の病院の医師からは「命の危険に関わる出産になるかもしれない」と告げられていました。子宮外妊娠の手術の際に、1歳のころに患った胆道閉鎖症の手術痕の腹膜に癒着があることがわかっていたので、「出産の際、帝王切開により腹膜の癒着がはがれて大量出血する恐れもあります。もしもの場合は母体の命の危険にも関わります。出産についてはご家族とよく話し合ってください」と。
でも私は、どうしても夫の血を引く子どもを産みたかったので「自分の命と引き換えでもいいから、産むという選択肢しか考えられない」と伝えていました。夫は困惑しながらも、私の意思を尊重してくれました。今までの私は心のどこかで、「脳性まひで重度障害のある私が子どもを産むなんてムリだ」って、本当の気持ちを押し込めて生きてきたんですね。でもこうして子どもを授かることができた。「可能性は無限大なんだ!」って思いました。
なぜ、憐れんだり悲しんだり怒ったりするの
── 妊娠中に困ったこと、大変だったことは何ですか?
千葉さん:私は脳性まひがあるために普段は筋弛緩剤を飲んでいるのですが、妊娠初期は胎児に影響があるかもしれないので飲むのを止めていました。そうすると、不随意運動といって、自分の意思とは関係なく体が勝手に動いてしまう症状が出るんですよ。そのときは自分の体が自分じゃないような感じがしてつらかったです。眠っている間も体が勝手にバタバタ動くので寝られず、夫や母、周囲の人にすごく助けてもらいました。
睡眠不足やホルモンのバランスが崩れたことが影響したのか、当時は思考もネガティブになってしまい、人と会いたくないので、できるだけ出かけないようにしていました。たまに調子がいいときに外出しても、車椅子でお腹が大きい私を見て「この人、本当に子どもが産めるの?」と思われているんじゃないかと被害妄想がすごかったです。
そんな時期にSNSで、旧優生保護法によって過去に同意なく子宮を摘出された脳性まひの方のニュースに対してのコメント欄を目にしてしまいました。「障害があるのに子どもを産むなんて親のエゴだ」といったコメントが並んでいて、かなり落ち込みました。
NHKでパラリンピックのキャスターをしていたころ、一生懸命“共生社会”を訴えてきた意味は何だったんだろう、とも思いました。健常者の方が妊娠したら「おめでとう」としか言われないのに、なぜ障害者が妊娠すると憐れんだり悲しんだり怒ったりするんだろうと。障害があっても、妊娠しておめでとうと言われる社会が当たり前であってほしいのに。
── 筋弛緩剤はいつごろまで飲めなかったのですか?
千葉さん:妊娠5か月目になってから札幌の病院で相談したら、「安定期に入ったし、不随意運動によって転んだりするほうが大変だから飲んだほうがいいよ」とアドバイスされて再び飲むようになりました。そうすると体がラクになり、心も安定していきました。出産後どうなるかわからないから今のうちにいろんな場所に出かけておこうと、夫が積極的に外に連れ出してくれて楽しく過ごしました。
── 出産することで命の危険もあるというのは、常に頭の片隅にあったのですか?
千葉さん:いえ、強く意識したのは、出産のために入院するころです。これで家族と会うのは最後かもしれないと思ったら悲しくなってきました。
チーム医療で出産をサポート「分娩台の上で涙が止まらなかった」
── 出産自体は帝王切開だったのですか?
千葉さん:それが違ったんです。札幌の病院では担当の医師が、「脳性まひだから、不随意運動が強いからって帝王切開と決めつけず、いろんな出産の可能性を見つけてみよう」と言ってくれて。私は今までの人生で、とにかく自分で工夫をして、できることを見つけて生きてきたので、私でもできる方法を考えてくれる、同じマインドでいてくれる先生だと感じました。
病院では産婦人科の先生だけでなく、麻酔科の先生、リハビリテーション科の先生、小児科の先生がチームとなって私の出産を支えてくれました。たとえばお腹の子が逆子だったらどんな体勢なら産めるかとか、各先生が意見を出し合いながら準備を進めてくれて、分娩へと向かうことができました。
最終的に計画和痛分娩という形を取ることになり、2日かけて出産しました。1日目はバルーンを入れて陣痛誘発剤を打ったのですが出産に至らず、翌日さらに大きいバルーンを入れました。分娩台では硬膜外麻酔を打ち、不随意運動で動きすぎないように足を押さえてもらいながらの分娩でした。2024年2月14日、無事に娘が生まれてきてくれました。
── 生まれてきた赤ちゃんを見てどんな気持ちでしたか?
千葉さん:本当に感動しました。分娩台に乗ってからは、かなり早い段階から生まれた後のことを想像して涙が止まらなくなりました。助産師さんに「まだ生まれてこないよ」と言われながらも、出産中もずっと泣いていました。「私たちのところに来てくれてありがとう」という気持ちと、「この命を大切にしないといけない」という気持ちでいっぱいに。落ち着くと今度は、自分の体に何か起きないか、子どもの体に何か起きないかと不安がよぎりました。
── 実際に育児を始めてみていかがですか?
千葉さん:育児はできるだけ自分主体でやるようにしていますが、もちろんできないこともあるので、家族やヘルパーさんの手を借りながらやっています。重度訪問介護という制度の中に育児支援も含まれているので、今は11人のヘルパーさんが交代で朝7時から夜22時まで入ってくれています。夫は仕事から帰ったら率先して育児を手伝ってくれていますし、近くに住む母も手伝いに来てくれています。心配なことは、ミルクを飲む量が少ないとか、同じ月齢の子の情報と比べてどうか、といった、きっと初めての育児によくあることですかね。ヘルパーさんに子育て経験がある方もいらっしゃって、教えてもらいながら楽しく子育てしています。