「大変だったことはありすぎて挙げきれない」

NHKのナレーション中の千葉絵里菜さん
NHKのナレーション中

── 実際にリポーターをやってみて大変だったことはありますか?

 

千葉さん:発音には苦労しました。たとえば太ももの「もも」と果物の「もも」はイントネーションが違うのですが、脳性まひがある私の言い方だと、どうしても同じになってしまって、それは何度も練習しました。原稿は2日くらいかけて読んで、たくさん書き込みをして収録に臨みました。あとは取材のときに聞きたいことがあってもなかなか聞き出せないときに、どうやって自然な形で答えてもらえるか、考えるのが大変でした。

 

正直に言うと、大変だったことはありすぎて挙げきれないです。都心での生活に慣れるのに苦労したこともあり、メンタルが弱くなって母親には3回くらい「もう辞めたい」と泣き言を言った覚えがあります。でも、そこで辞めたら負けたみたいで悔しいので、頑張って続けました。

 

コロナの影響で東京オリンピックが1年延期されることが決まり、「続けますか?どうしますか?」と上司から聞かれたときには、迷わず「続けます!」と答えました。NHKは“共生社会を創る”ことをモットーに掲げているので、私たち障害者レポーターがテレビに出ることでどれだけの人が関心を持ってくれて、共生社会につながっていくんだろうというゴールが見たかったんです。

 

── 4年間リポーターを続けてきて、印象的だったことは何でしたか?

 

千葉さん:最後まで続けてよかったと思ったのが、ボッチャの金メダリスト杉村英孝選手へのインタビューです。金メダル獲得後のインタビューで、一緒にいたディレクターが「この4年間、千葉さんが取材してきてくれたことはどう感じてますか?」と質問し始めたんです。杉村さんは「千葉さんのおかげでボッチャの認知度が高まって、大変なこともあっただろうけど、僕たち選手からしたら千葉さんがリポーターでよかった」と言ってくれました。その言葉を聞いて「もう東京パラリンピックでやり残したことはない」と思いました。

 

ディレクターが質問する前から私は杉村選手の金メダルに感動して泣いていましたが、その言葉を聞いて、さらに泣くことになっちゃいました。上司からは「泣いたらリポーター失格だ」と言われていたので、それ以上、泣きたくなかったんですが…(笑)。その上司も、それまで障害者とあまり関わったことがない方だったと思うのですが、私と一緒に仕事をすることになってすごく勉強してくださっていました。周囲の方に恵まれてリポーターをまっとうすることができました。

 

東京パラリンピックのトークイベントにも出演した千葉絵里菜さん
東京パラリンピックのトークイベントにも出演

 

PROFILE 千葉絵里菜さん

ちば・えりな。1994年、北海道帯広市生まれ。1歳で難病指定の胆道閉鎖症の手術をし、2歳で脳性まひが発覚。以降、重度身体障害者として車椅子生活を送っている。2017年~2021年、東京パラリンピックのNHK障害者キャスター・リポーターとして活躍。2022年に結婚し、2023年には長女を出産。家族や重度訪問介護ヘルパーに支えられながら育児をしている様子をSNSで発信し続けている。

取材・文/富田夏子 画像提供/千葉絵里菜