元・おニャン子クラブの内海和子さんは40代になった頃、パニック障害の診断を受け、発作が起きるたびに死を意識したと言います。家族の支えで乗り越えたものの、介護が必要な義母と同居することになり、パニック障害が再発して── 。(全5回中の3回)

「あなたは子どもの頃からずっとストレスを抱えている」

ライブでの内海和子さん
ライブの様子。圧倒的な歌唱力は今でも健在

── パニック障害の診断を受けた経緯を教えていただけますでしょうか。

 

内海さん:15年くらい前、私が40代初めの頃なんですけど、何か息苦しくて「心臓が悪いのかな?」思っていたんです。身内に心臓血管外科の医師がいるので相談しましたが、心臓が悪いわけではなさそうと。でも息苦しさが治らず、当時のママ友に相談したら「心臓ではなく、心療内科に行ってみたら?パニック障害なのでは?」と言われたんです。当時まだ「心療内科」と聞くと病院に行くこと自体ハードルが高い印象があり「そもそも、心理的なストレスなどもないのに?」という感覚でした。でも、そのママ友が「自分のわからないストレスがあるのかも」って背中を押してくれて。病院でカウンセリングを受けると「パニック障害です」と診断されて、それを聞いたときは「えっ?」と驚きましたね。

 

「あなたは子どもの頃からずっとストレスを抱えている。子どもができてもいろいろな対人関係でストレスがあるようだ」と。たしかに潔癖症で、完璧主義なところがあるんですが、自分ではだらしないところが多いと思っているから気づかなかったんです。先生からは「子どもや家族など、誰かのために動いているからきっと本人は気づきにくいけど、蓄積されて症状に出ているんですよ」と。たしかに、「やらなきゃ」とか「完璧でいなくちゃ」とか、そういう強迫観念を持っていたのかもしれません。

 

── 主にどういった症状があったのでしょうか?

 

内海さん:私の場合、朝方になると息が苦しい症状が出てくるんです。そのたび「私はこのまま息ができなくなってしまう、怖い」と思っていました。いつも発作が起きると「私、死ぬの?」と言う私に、夫が「死なないから、死なないから」って背中をさすって声をかけてくれました。「大丈夫」とか「頑張れ」とかそういう言葉ではないんですけど、この言葉に助けられました。

 

発作が起きると、救急搬送されたり、娘や夫に何度も病院に連れて行ってもらっていました。その後も、私は息が苦しくなるとその場所から逃げて、夜中だろうが雪だろうが、雨だろうが家を飛び出し、外に出ることを繰り返していました。危ないからと夫が後ろからついてきてくれることも。先生からは「紙袋を用意して発作が起きたらゆっくり吸いなさい」と言われたんですけど、私には余計に苦しくて…口の周りを覆う感じがムリだったんですよね。

 

でも部屋を出ることは自分が見つけたひとつの解決方法で、発作が起きても夜中に外の玄関に座ったり、ベランダのテラスの椅子に座ったり、近所の公園に行ったり、コンビニに行って何か買って気を紛らしたりして、やり過ごすこともできるようになりました。10年くらい薬を飲んでそういうことを繰り返しながらですが、症状も次第に落ち着いていきました。