仕事に没頭して女房の行方がわからない

── 怪談もですが、稲川さんのリアクション芸は見ていて楽しいです。

 

稲川さん:全国放送のワイドショーで「稲川淳二のためになる話」というコーナーを持ったときに、ウケるのが楽しくてどんどんリアクションすると、みんなおもしろがっちゃってね。私はリアクションで育ってきた人間だし、リアクション大好きだから、楽しかったです。親の前で寂しそうな顔をするとおこづかいくれたりしましたからね(笑)。体張ってやってきました。

 

── さらに、活躍の場が広がり、俳優や映画監督も務めました。

 

稲川さん:大河ドラマに出たり、2時間ドラマの主役もやりました。台本の読み合わせのとき、俳優さんたちは小さな声でしゃべるんですが、私は変わらず大きな声でしゃべってマイクの音量を絞られたことがあります。いろいろ出演しましたが、じつは私はバラエティ番組でもニュース枠の出演が多いんですよ。朝のワイドショーのニュース枠、午前中は23年間続けた日本テレビの『ルックルックこんにちは』、午後のワイドショー、夜は『11PM』(イレブン・ピーエム)。ふだんはレポーターやコメンテーターが多かったです。

 

── 早朝から深夜まで!

 

稲川さん:仕事に注力しすぎて、ある日、家に帰ったら家族がいなくなってたんです。40歳過ぎたくらいだと思いますが。いまも、女房の居場所がわからない(笑)。私の個人事務所の社長が女房なんですが、どこにいるかわからない女房から、毎月、お給料をもらっています。別居していることを隠すと、視聴者や読者のなかにはあれこれ探りたくなる人が出てくるかもしれませんし、隠すと明るくなりません。帰ったらいなくなっていたのは本当なので、これでいいんですよ。

55歳からは怪談一本「ライブ感がたまらなくて」

── 幅広く活躍していましたが、稲川さんはあるときから怪談に集中しました。

 

稲川さん:55歳まではいろいろチャレンジしましたが、その後は怪談一本に絞りました。怪談にはコアなファンもいますので、中途半端にはできないです。楽ではないけど、自分の好きなことを続けているのでまったく苦にならないし、何よりも楽しいですねぇ。

 

怪談ライブの会場で、客席と手を振りあう稲川淳二さん
怪談ライブの会場で、客席と手を振りあう稲川さん

怪談に絞ってから、おもしろいことに、私の扱い自体が変わるんですよ。芸人のときは、町中で「あ、稲川淳二」や「ちょっと、一緒に写真撮って」という軽い感じでしたが、怪談をするようになると「じゅんちゃん」「師匠」「先生」なんて、大切にされるようになりました。芸人時代はファンレターなんてもらいませんが、怪談をやると手紙をいただきますし、嬉しいですねぇ。

 

── そして怪談ツアーを続けて、今年で32年目です。

 

稲川さん:怪談は、なんといってもライブ感なんです。やってみてわかりました。テレビもウケるしおもしろい、ラジオや出版物ももちろんおもしろい。でも、どれもひとりで見たり聞いたりするもんじゃないですか。怪談ライブは、まわりに人がいて、独特の雰囲気ができ上がるんです。このおもしろさはたまらないですね。舞台に私が登場すると、ワーッとみんな手を振ってくれて、「じゅんじー」と声をかけて、「おかえりー!」って言ってくれるんです。だから私も席について「ただいまー!」から始めます。

 

PROFILE 稲川淳二さん

いながわ・じゅんじ。怪談家。1947年、東京都渋谷区生まれ。桑沢デザイン研究所を経て、工業デザイナーとして活動。1996年通商産業省選定グッドデザイン賞「車どめ」を受賞。その一方で、タレントとして、ワイドショー・バラエティー・ドラマと多くのメディアに出演。また、怪談界のレジェンドとして、若者からお年寄りまで広いファン層を持つ。“稲川淳二の怪談ナイト”の全国ツアーは、32年目を迎える。

 

取材・文/岡本聡子 写真提供/ユニJオフィース、オフ・ショア―、ジェイ・ツー