外出中に大量の出血をして、駅ビルのトイレから出られなくなったと話すのは、(株)encyclo代表取締役の水田悠子さんが29歳のときでした。婦人科検診では何も問題なかったものの、病院での再検査によって「見つけにくい」とされるがんが発覚したのです。(全3回中の1回)
婦人科検診で陰性も「ある朝、大量出血して…」
水田さんは、新卒で(株)ポーラに入社し、念願の商品企画を担当しました。しかし、28歳の終わりころ、胃腸炎で入院したり、不正出血やひんぱんな膀胱炎を起こし、ひと冬に2回もインフルエンザにかかるなど、体調不良が度重なりました。
「自分では深刻にとらえることはなかったのですが、当時つきあっていたパートナーにすすめられて婦人科を受診しました。結果、子宮頸がん検査は陰性でした」
薬の処方を受けても症状が続くため、大学病院でくわしい検査を受けましたが、その数日後、連休の外出中に大出血を起こしました。
「生理の何倍もの量の出血で、駅ビルのトイレから1時間くらい出られませんでした。タクシーにすぐ乗って病院の救急外来を受診し、応急処置を受けました。さすがにこれはおかしいと、連休中にウェブ検索しまくり、子宮頸がんの前段階の前がん状態かな、と自分であたりをつけました」
自己血貯血や検査をへて手術当日を迎えて
連休明けすぐに病院に向かいました。診察室に入ると、医師から「ひとりで来たのですか?」と問われ、厳しい状況だと察したそうです。
「自分で想像していた前がん状態をとおりこして、すでにがんになっていたんです。それまで、定期的に何度も子宮頸がん検診を受けていましたが、すべて陰性。私の場合は、検査では見つかりにくいタイプのがんでした。検査しても100%がんが判明するわけではないことにすごく驚きました」
想像をこえた事態に、水田さんは予定していた午後からの出社ができなくなり、会社へ電話しました。上司からは「気が動転しているようだし、電車では危ないだろうから、タクシーに乗って帰宅して」と声をかけられたそうです。
「早めの手術が必要だったので、この日に精密検査、この日に入院、と、医師とはどんどん具体的な話が進むのですが、まったく頭がついていかなくて…」
翌日、当時の部長と直接話をしました。
「社内には、がんの治療と仕事を両立している人もいるけれど、あまりにショックが大きく急なので、自分は治療に専念したい、と伝えました。部長は『必ずあなたの帰りを待っているから、今後、どうしたらいいか教えて』と励ましてくれました」
この後、水田さんは新しい治療法を求めて転院しました。子宮全摘出が当初の見立てでしたが、子宮頸部だけをとって子宮を残す治療法を行う病院が、日本で1か所だけあったのです。
「最初の担当医からも、治療の可能性を探ったほうがよいと言われ、セカンドオピニオンを受けました。結局、症状が進行していたので子宮温存の治療法を適用できなかったのですが、当時、できることの中ではベストを尽くせたと信じています」
さらに、妊娠・出産の可能性を残すため卵子凍結も考えたそうです。
「でも、治療開始が遅れること、日本では卵子提供による代理出産は法的に認められていないことなど、メリットとデメリットを考慮して、選択はしませんでした」
水田さんのように、若い時期にがんに罹患すると、治療の選択においてその後の人生の転換期や仕事とのバランスで難しい判断を迫られるケースがあります。治療上、15~39歳をAYA世代(Adolescent and Young Adult、思春期・若年成人)と称しますが、日本では毎年約2万人のAYA世代が、がんを発症すると推定されています。