電子レンジがない家だから冷飯は毎回…

サンシャイン池崎

── ご両親はどのような方ですか?

 

サンシャイン池崎さん:子どものときは、酔っ払って帰ってきた親父が「波動拳!」って言いながら蹴ってきたり、でかい体を僕に預けて乗っかってきたり、スキンシップみたいな感じでうざい絡みをしてくるのがめちゃくちゃ嫌でした(笑)。でも、社会に出てからはひとり暮らしや売れない期間があったんで、お金を稼ぐことの大変さがわかって。僕と兄貴を育ててくれたのはすごいなと尊敬するようになりました。

 

母ちゃんはめちゃくちゃ優しくて、親父が酔っ払ってうざい絡みをしてきたときも助けてくれるし、怒られたこともなかったです。うちの家は電子レンジがなくて。炊いて余ったご飯は全部冷や飯になるんですけど、その冷や飯で母ちゃんが炒飯を作るんですよね。玉ねぎと卵とハムが入っていて、醤油と塩こしょうぐらいしか使わないシンプルな味つけなんですけど、妙に好きでした。あとは、遠足や運動会のときに、魚肉ソーセージの細巻き、鉄火巻の魚肉ソーセージ版みたいなものを弁当に入れてくれて。それが異常に好きでした。

 

親父からも母ちゃんからも、「勉強しなさい」とか「宿題やりなさい」とかを言われた記憶がなくて。部活にも進路にも口出ししてこなかったことがありがたかったです。

 

── テレビ番組などでは、裕福ではなかったエピソードをお話されることもあります。

 

サンシャイン池崎さん:そうですね。貧乏だったとは思うんですけど、親父は大工の下請けみたいな自営業をやっていたんで、社長だったんです。だから、めちゃくちゃ貧乏というわけでもなくて。浮き沈みが激しくて、貧乏な瞬間もあるんですけど普通ぐらいのときもあって、波がある感じでした。

 

僕がたぶん小学生ぐらいのときだったと思うんですけど、そのころは調子がよくて。家に偉い人が来て、今度建てるビルの設計図を広げて親父が一緒に見ていたりとか、地元・鹿屋市内で建設中のビルがあって、そこに責任者みたいな感じで親父の写真が貼ってあったりとかして。夏休みには、僕も現場へ手伝いに行ってこづかいをもらうこともありました。お金も調子がよかったのか、「パジェロ買ってきたぜ!」みたいな感じで、家にパジェロがある時期もありましたね。

 

サンシャイン池崎

逆に、高校を卒業するころ、卒業後ぐらいからがやばかったです。そこからは、たぶんもうずっとやばくて。パジェロもいつの間にかなくなって、ボロいワゴン車に変わっていて。大学に行くとお金がかかるから、冗談半分なのか本気半分なのかわからないですけど、親父はちょっと大学に落ちてほしそうな雰囲気もありました。合格したときは「受かっとんかい!」みたいな感じにはなっていました(笑)。

 

本当に経営が大変だったみたいで、入学して1年目だけは授業料を出してもらって仕送りももらっていたんですけど、2年目からはバイトして奨学金をもらって、全部自分で出すようになりました。本当はひとり暮らしをしてみたいなと思っていたんですけど、男子寮に入って。カラオケやコンビニのバイトをちょっとやったり、ラーメン屋とラウンジのボーイもやったりしていましたね。

 

PROFILE サンシャイン池崎さん

さんしゃいん・いけざき。1981年10月9日生まれ、鹿児島県出身。大分大学を卒業後、ワタナベコメディスクールに入学し、2006年にデビュー。「R-1ぐらんぷり2016」で決勝進出し、翌年には準優勝を果たした。著書に『空前絶後の保護猫ライフ!池崎の家編』(宝島社)などがある。

 

取材・文/長田莉沙 写真提供/サンシャイン池崎