「不妊治療が目的化している」と気づき…15年を経て卒業

── 15年に及んだ不妊治療を終えようと思ったきっかけは何でしたか?

 

リンゴさん:卒業したのは50歳でしたからね…長かったですよ。35歳から15年も治療を続けていると、いつの間にか不妊治療自体が目的化してしまって。あるとき、冷静に考えたんです。もし50歳で子どもを産んだとしたら、その子が成人するとき私は70歳でしょ。それって子どもにとっていいことなのだろうか?って。いや、違うなと。それで、ふんぎりがつきました。

 

とはいえ、よく「高齢出産は親のエゴだ」などと批判している人がいますが、最終的には当事者の夫婦が決めればいいこと。周りがとやかくいうべき話ではないと思うんです。まだ治療を続けたいと思うなら気が済むまでやればいいと思います。本人に“こうでなければいけない”という気持ちが強かったり妊娠が目的化してしまうと、どんどんしんどくなっていくような気がします。

 

私の場合、不妊治療に必要な注射を自分で打っていて、「この日に自分で注射を打つ」という生活が日常でした。不妊治療をしていた15年間は、綿密なスケジュールを立てないと旅行にも行けなかった。“私は何のために不妊治療を続けているんだろう”って考えることもあったけれど、これが日常だからやめられない…というか。結局、不妊治療のために1年半も休業したから、会社にも相方にも本当に迷惑をかけました。

 

── そこまでしんどい思いをしながら、治療を続けたのはなぜでしょうか。

 

リンゴさん:そこまで周りを巻き込んでしまったら、“この子が私の赤ちゃん”って顔を見せられないと格好がつかない状況になっていた、というのはあるかもしれません。お金もそこそこあったので(笑)、ずるずると不妊治療を続けてしまっていたんです。

 

でも、このままだと生きている時間が無駄になってしまうなって。気持ちを切り替えて、いろんなことにアクティブに挑戦するほうが私には合っているんじゃないかって思えて初めて、治療を卒業する決断ができました。最後の卵が着床しなかったとき、夫が「よく頑張ったな。お疲れさん」と言って、ポンポンと私の頭をたたいてくれたこと、昨日のことのように覚えています。

 

PROFILE ハイヒール・リンゴさん

1961年、大阪府出身。京都産業大学在学中に、相方のモモコさんとハイヒール結成。女性漫才コンビとして、数多くの賞を受賞。2015年には大阪学院大学大学院商学研究科より名誉博士号を授与。現在も漫才、コメンテーターなど幅広い分野で活躍中。

 

取材・文/池守りぜね 写真提供/ハイヒール・リンゴ