「母が死んでも、父が再婚しても、ふーんって感じだった」と話すのは、ヤングケアラ―として小さいころから、家族の世話や家事を担っていたお笑いコンビ・平成ノブシコブシの徳井健太さん。考え方を変えられたきっかけは、ある先輩芸人との出会いでした。(全5回中の2回)
家にお菓子もなく「プリンを食べたのは大人になってから」
── 中高時代を通して、母親の介護、妹の世話、料理や家事を一手に引き受けていた徳井さん。北海道の自宅を出て、東京のNSC(吉本総合芸能学院)に入ることについて、家族は?
徳井さん:家族には、ほとんど相談しませんでした。もう自分で決めたことだから。他人がどう言おうと、意志は変わらないとわかっているので、そもそも相談する意味がないですよね。
── 人によっては、家族を背負っているから、自分の意志だけでは動けないと自分を追い詰めてしまうケースもあるかもしれません。
徳井さん:そのほうが、よほど酷です。僕は親に愛されたという実感がなかったから、自分の意志だけで家を出られたんでしょう。これが、小さいころからかわいがってくれた母親が突然、病気になったなら、もしかすると僕はあのまま、あの町で働き続けていたかもしれません。本当に、僕はオオカミに育てられたのかって感じですよ。親から愛をもらっていないので、最近まで、愛のあげ方がわからなかったんです。母が発病してからの話じゃなくて、それまでも、僕の家族はどこか他とは違っていました。
── 他と違うというと?
徳井さん:自宅でお菓子を与えられていなかったので、友達の家に遊びに行ってお菓子を出してもらって大喜びしていました。プリンやヨーグルトは大人になるまで食べたことがなかった。もしかすると軽い虐待だったのかもと、ふりかえって思います。しかたないから自宅では、片栗粉に砂糖を入れてお湯で溶いたものを自分で作って食べていました。これ、めっちゃ美味しいんですよ(笑)。中学でバレーボール部に入り、糖分がたりなくて部活の後は炭酸飲料を1本だけ買っていいという約束を、ようやく親としたくらいです。
こんな環境で育っているので、「家族が好き」っていう人がいるのが理解できなかった。よく、「尊敬する人は?」「好きな人は?」って聞かれて、「お母さんです」「お父さんです」と答えている友人がいましたが、みんなを笑わせようとボケているんだ、と本気で思っていました。
── 思春期の「空腹の記憶」は忘れられませんね。家族との間に、愛情を感じなかったというのも衝撃的です…。
徳井さん:後に母が死んだと聞いても、その後、父がすぐ再婚したと聞いても、ふーん、という感じでした。とくに感情がゆさぶられることもなく、僕には関係ない、みたいな。こんなふうに、家族であっても他人、という無感情なところがあるから耐えられたのかもしれないし、だからこそいろんなものを失ってきているのかもしれません。先天的にそうなのか、後から自分を守るためにこうなったのか、いまとなってはわかりません。
小藪さんから学んだ1年間「人を思いやる気持ちが芽生えた」
── 徳井さんが大人になって、家庭を持ってからは家族に対する感覚は変わりましたか?
徳井さん:前妻と結婚してから、家族をいろんなところに連れていったり、子どもたちを叱ったりして親らしくやってきました。家族ってこういうものなんだろう、こうすべきだろうと僕なりに考えたんです。でも、表現するのが難しいのですが、当時はまだ、母親や妹と暮らしていた昔の感覚に近かったです。そのころ、僕には人の気持ちを思いやる言動が身についていませんでした。自分の考えが正解だと信じ、疑わなかったんです。仕事でも同じで、フジテレビの番組『ピカルの定理』のときなんて、ただのお笑いロボットみたいに、おもしろければなんでもいいと思っていて、人間じゃなかった。
── 無感情、または感情を押し込めてきた徳井さんが、変わったきっかけは?
徳井さん:35歳のとき、先輩の小藪一豊さんが僕の精神を1年間かけてたたき直してくれたんです。そこで、人の気持ちを思いやる重要性をやっと理解しました。最低限の挨拶やマナーすらも、両親が教えてくれなかったんです。
たとえば、ご飯作ってくれた相手に、「美味しい」と伝えると相手は嬉しいんだ、と初めて知りました。僕はそれまで料理をする側だったので、「美味しい」なんて言われても言われなくても、家では関係なかった。日常的に、自分の作った料理が残されてもなんとも思わなかったんです。自分でバーンって捨てて、また淡々と次のご飯を作る。だから、料理を残すのはよくないというのも知りませんでした。小藪さんには、「いただきます」「ごちそうさまでした」「あけましておめでとうございます」など、ちゃんと言うことから教えてもらいました。
── そこからですか…。あまり人に相談せずに決めるタイプの徳井さんですが、小藪さんの言葉には素直に耳を傾けることができたんですね。
徳井さん:最初は、小藪さんに対してもまったく聞く耳を持たなかったんです。でも、小藪さんが辛抱強く、人類として生命をつなげていくところから説いてくれて「父親がつないだものを受けとり、お前の時間はこれだけあって、後の世代に引き継ぐんやで」と、生きていくうえで大切なことをたくさん教えてくれました。
それで、ガラッと考え方が変わり、「僕はいままで人を傷つけてきた」「あのひと言、ヤバかった」と過去の悪行が思い出されて…。「なんてことをしていたんだろう」と思うことが山ほど出てきました。とにかく、いまからでも遅くないのでまわりに伝えようと思ったんです。あのとき小藪さんに出会わなかったら、100%、仕事をやめていたと思います。
── 徳井さんに、思いやりや共感の感情が!
徳井さん:本当に、「世界に色がついた」って感じです。僕の場合、いつからかも理由ももうわかりませんが、中高時代から人の気持ちを考えるひまもなく、家族の世話や家事・料理、学業、部活のマルチタスクを無感情でこなしてきました。他人への思いやりという点では、自分が考えていることだけが正解だとは限らないので、自分の考えを疑うようにしています。たとえば、以前は、他の人が「頑張れる」って言ったら、言葉通りに「頑張れるんなら、頑張ろうよ」って受けとっていましたが、「もしかしたらムリしているのかも」と、一歩ひいて考えられるようになりました。