「和津ちゃんちは臭い」と言われて

上・和津さん、左・奥田さん、右・桃子さん

── エッセイ『愛すること 愛されること』では複雑だった家庭の事情も明かされています。未婚のまま安藤さんを育てた母、寝たきりだった祖母、結核性脊椎炎(脊椎カリエス)の後遺症で背骨が曲がっていた叔母、そして娘を溺愛しながらも別の家庭を持っていたため不在だった父。そうした家族の形が、自身の人格形成に影響をもたらした部分はありましたか。

 

安藤さん:それはもちろん、すごく大きかったように思います。祖母は重度のリウマチで、40代後半からはずっと寝たきりで、ひとりでは寝返りさえ打てないような状態でした。

 

今のように介護用品なんてない時代でしたから、浴衣を縫い直したおむつをあてて、使用済みのおむつはバケツに入れて、洗濯をして使いまわすんですね。すると家の中におむつのニオイが当然こもるんですよ。

 

毎日そのニオイを嗅いでいる私たちはもうニオイに慣れてしまっているのですが、友達が家に遊びに来るようになると、「和津ちゃんち、なんでこんなに臭いの?」と言われてショックを受けたことがあります。

 

そこへ、脊椎カリエスで背骨が歪んでしまった叔母が、「お菓子をどうぞ」と運んでくるのですから、たいていの子どもはびっくりしちゃいますよね。そんなことが何度かあって、だんだんと友達が家に遊びに来なくなる。そういうことの繰り返しが、つらかったですね。

 

──  “ミチコバタン”と呼んで慕っていた叔母さまのことはエッセイでも書かれていましたね。脊椎カリエスの後遺症はあっても、おしゃれで美しい女性だった、と。

 

安藤さん:本当にそうなんです。うちの家系って、私以外はみんな彫りの深い欧米系の顔立ちなんです。叔母も目鼻立ちのくっきりした美人で、ファッションのセンスもあって。

 

母方の叔父もアラン・ドロンに似た、映画会社の人にスカウトされるくらいの美青年でした。彼は年の離れた私のことをすごくかわいがってくれて、デートに行くときも私を連れて行っては彼女に紹介してくれたぐらいなんですよ。

 

その叔父が、本当は私の実の兄だったと明かされたのは、彼が若くして白血病で亡くなってしまった後でした。叔父であり、兄であった彼の最期のことは忘れられません。スポーツ万能ではつらつとしていた彼の頬が痩せこけ、大きな目だけがギョロギョロと動いて、痛みのあまり物を投げたり暴れたりしてくる。

 

ちょうどクリスマスの頃が末期だったのでジングルベルの曲を聴くたびに兄彼の最期の姿や、それを見て泣いていた母のことを思い出すので、年の瀬は大嫌いでした。その痛みがようやくやわらぐようになったのは、子どもが生まれてクリスマスを楽しめるようになってからでした。

 

PROFILE 安藤和津さん

1948年、東京都出身。学習院初等科から高等科、上智大学を経て、イギリスへ2年間留学。CNNのメインキャスターを務める。1979年、俳優・映画監督の奥田瑛二さんと結婚。長女は映画監督の安藤桃子、次女は俳優の安藤サクラ。エッセイスト、コメンテーターなど幅広い分野で活躍中。

 

取材・文/阿部花恵 写真提供/安藤和津