寝たきりの祖母、脊椎カリエスだった叔母、不在の父。複雑な家庭環境で育ち、無口な少女だった安藤和津さんが、中学時代に“キャラ変”した理由とは?(全4回中の3回)

中学時代にいじめを経験

カンヌにて

── 幼少期の安藤さんはどんな少女でしたか。

 

安藤さん:本を読むのと絵を描くことが好きな、おとなしい女の子でした。幼い頃は病弱だったので、外に出て同年代の友達と遊ぶことがほとんどできなかったんですね。無口で人見知りで恥ずかしがり屋だったので、人とおしゃべりすることは大の苦手。

 

幼稚園のとき、私がトイレの列に並んでいたら、みんなが次々と横割りして入って来たことがあったんです。でも内気で臆病だった私は「私が先!」とは言えなかった。結局、列の最後になってしまって、お漏らしをしてしまった記憶があります。

 

そんなタイプの子どもでしたから、空想の世界に浸っては「こんな女の子になれたらな」と理想の少女像を絵で描いたり、少女雑誌を眺めて見つけたかわいい洋服を描いたりすることが大好きだったんです。

 

小学校低学年のときの将来の夢は、洋服のデザイナーになることでしたね。当時は今みたいにアパレルブランドがたくさんありませんでしたから、洋裁屋さんが生地を持参して家にやって来て、デザインを考えてオーダーするような形が一般的だったんですね。だから「私だったらこんな服が着たいな」と絵に描いては楽しんでいました。

 

── かつてはNHKやCNNのキャスターを務めていた安藤さんが、幼少期は無口でおとなしい少女だったとは意外です。性格が大きく変わるきっかけのような出来事は何かあったのでしょうか。

 

安藤さん:中学時代に自己改革をしたからですね。中学生になってから母子家庭であることで学校でいじめに遭うようになり、3か月ほど登校拒否を続けていた時期があるんです。

 

でも女手ひとつで私を育ててくれる母には、いじめられていることをずっと言い出せませんでした。やがて「このままだと出席日数がたりなくなって進級できなくなる」と学校側から言われたので渋々登校することになったのですが、悲しんでいる母の顔を見たとき、ふつふつと怒りが湧いてきたんです。

 

このままずっと自分自身の意見を言えないような人間でいたら、一生いじめられるままだ。いつまでも泣いてグズグズしていちゃダメだ。自分が変わらなかったら、ずっとこのままだ。

 

そういう怒りのような、競争心のような、「負けてたまるか」という気持ちが湧いてきた。それをきっかけに、“キャラ変”することを決意したんです。

 

── 具体的には、どのような行動を取ったのでしょう?

 

安藤さん:誰かに嫌なことを言われたら、きちんと言い返す。自分の意見を口に出してみる。もちろん、すぐにできたわけではありませんが、学校に復帰後は徐々にそうしたことができるようになっていきました。何も言えずに我慢していた自分のことが、幼稚園時代からずっと嫌いだったので、そこは頑張りました。

 

私のそうした性格は、家庭環境の影響もあったのだろうなと今は思いますね。同年代の子どもと遊ぶ機会があまりないまま、大人ばかりの環境で育ってきたせいか、「自分は一番下だから発言しちゃいけないんだ」とずっと思い込んでいましたから。そのせいで、本来の自分が封じ込められていたのかもしれません。