2015年にシングルファーザーと結婚したおかもとまりさん。離婚を経て、昨年末に再婚を果たし、自身のお子さんと新たなステップファミリーを築いています。(全3回中の2回目)

突然5歳の子の母親に

おかもとまり

── 2015年、25歳のときに5歳のお子さんがいるシングルファーザーと結婚されました。

 

おかもとさん:10代から芸能活動を始めたこともあり、25歳でそろそろ落ち着きたいなと思い、結婚しました。相手に子どもがいることは知っていましたが、子どもも含めて私が幸せにしたいと思えたため、結婚に迷いはなかったです。

 

── お子さんとの関係はいかがでしたか?

 

おかもとさん:子どもは、最初こそ人見知りをしたものの、笑顔で接しているうちに徐々に心を開いてくれるようになり、良好な関係が築けていたと思います。私にとっては初めての子育てでどこから始めたらいいかわからなかったので、主に子どものお世話をしてくれていた義母に、子どもの好きな食べ物、嫌いな食べ物を聞くところから始まりました。

 

ある日、子どもが家に友達を連れてきたんです。その友達の前で、子どもが私を「まりちゃん」と呼んでいたのですが、友達からお母さんって呼んだほうがいいよといわれてました。それをきっかけに、子どもは少し照れながらも初めて私のことをお母さんと呼んでくれたんです。私は呼び名にこだわりはないけど、その瞬間、彼に母親だと認めてもらえた気がして、とても嬉しかったです。

 

── 結婚された年に、おかもとさんも初めての出産を経験されました。上のお子さんのケアで心掛けたことはありますか?

 

おかもとさん:常に上の子のお世話を優先するようにしていました。たとえば、家族でアミューズメントパークに行くときは、下の子のお世話は当時の旦那さんにお願いして、私は上の子と手をつないで、乗り物も一緒に乗る。いつも上の子が主役でいられるように気を配っていました。それもあってか、彼は新しく生まれた弟をすごくかわいがってくれました。

 

── しかし、2018年に離婚されてシングルマザーに。

 

おかもとさん:離婚後は、彼との間に生まれた2歳の息子を連れて群馬の実家に帰りました。離婚とほぼ同時に、ものまね芸人を引退したため一時的に仕事がなくなってしまい、落ち込んだことも。でも、シングルマザーになったからには、自分で息子を育てないといけない。働かないといけないと思い、自分で企画書や営業メールをして必死に働きました。

 

東京で仕事があるときは、子どもを実家の両親に預け、できるだけまとめて予定を入れて2、3日東京に滞在。夜は友達の家に泊まったりスーパー銭湯に行ったりしました。仕事を頑張ったおかげで、徐々に収入が増え、子どもとふたりで生活していくぶんには困らないくらいには稼げるようになりました。

 

── 離婚をするにあたって、子どもの養育費の取り決めはしましたか?

 

おかもとさん:子どもが20歳になるまで、どちらかが再婚した場合でも支払いを継続すると書面に記載しました。元旦那さんから受け取った養育費は子どもの将来に備えて積み立て運用しています。

 

── お子さんに、離婚について話したことはありますか?

 

おかもとさん:子どもが4歳のときに、なぜパパがいないのか聞くようになってきて、「パパとは離婚しちゃったからだよ。ごめんね。今はパパには別の家庭があって赤ちゃんも産まれたばかりだから会えないけど、優しいパパだよ。いつか必ず会いに行こうね」と伝えました。私が離婚したとき下の子どもは2歳だったし、父親のことはよく覚えていなかったのか、とくに気にしている様子はなかったです。友達が家に遊びに来たときにゲームしながら「この家にはパパがいない!」とギャグにして友達を笑わせていました。

 

── 小学校入学以降のお子さんの様子はいかがでしょうか。

 

おかもとさん:小学校に入学したとき、学校に馴染めず毎朝泣きながら登校する息子の姿を見ているのはつらかったです。幸い同じクラスの子に息子を心配して声をかけてくれる女の子がいて、その子を通じて少しずつ学校生活に慣れていきました。1年生の2学期以降は登校の際に息子も泣かなくなり、楽しく通えるようになりました。たまに私が冗談で「学校を休んでママと遊ぼうよ」と言うと、「僕は真面目だから学校は休まないよ!」と笑って答えるほどです。