パーツモデル・美容家の金子エミさん。長男の村井カイトさん(本名:村井海人さん)は、背泳ぎで世界のトップを目指してきました。カイトさんのアスリート人生を支える日々についてお話を聞きました。(全5回中の4回)
11歳で水泳を始め、13歳から世界を目指す
── カイトさんが水泳を始められたきっかけを教えていただけますか。
金子さん:カイトが水泳を習い始めたのは、11歳のときです。弟の律心(りお)が通っていたスイミングスクールに障がい者クラスがあったので、「健康のために始めてみようか」と。カイトは小さい頃からお風呂が好きでした。目を離すとすぐにお風呂場へ行ってしまうので、万が一おぼれたらいけないと、わが家ではいつもお風呂の水位は浅く設定していたんです。
最初はクロールから始めて、背泳ぎをしたときに先生に「お母さん、この子、背泳ぎ上手よ」と言っていただいて、「あ、そうですか」という感じでしたね。その先生は、カイトを含めて知的障がい者の日本チャンピオンを3人も育てていらっしゃるベテランで、背泳ぎの指導を得意とされていたんです。
13歳のとき、初めて日本選手権に出場して、「もしかしたら、世界を狙えるかもしれない」という感触を得てからは、水泳一色の生活になりました。ダウン症のカイトは、急には練習量を増やすことができません。週3回から4回、5回、6回と少しずつ練習日を増やしていきました。
所属しているクラブには週3回までしか練習日がないので、ほかのスイミングクラブへ通ったり、パーソナルコーチについていただいたりしました。車で送迎をするだけでなくて、私も一緒にプールに入るので、カイトが本格的に水泳を始めてからは、メイクはいっさいしなくなりました。
── 初めてカイトさんが世界の舞台に立ったのはいつですか。
金子さん:初めて「世界ダウン症水泳選手権大会」に出場したのは、2016年のイタリア大会で、18歳のときです。このときは実力を出せなくて40位以下だったんですけど、2018年のカナダ大会でトップ10に入りました。このときの泳ぎを見て、「もう少し練習量を増やしたら、次は決勝に残れる」と思いました。当時、カイトは就労支援事業所に通っていたのですが、「今しかできないことを思いきりやらせてあげたい」と思って辞めて、そのぶん練習日を増やしました。
2022年のポルトガル大会では全レースで決勝に残ったのですが、狙っていたメダルには届かなくて、悔しい思いをしたんだと思います。本人のモチベーションが下がってしまって、「やめたい」と言い出したんです。夜中に部屋から声がすると思ったら、ひとりでマイクを持って引退会見をしていたこともありました。このときは、夫にも「もうやめさせよう」と言われたのですが、私には「もう少し頑張れば、絶対にメダルがとれる」という確信がありました。
それからの2年間は、本人の意思というよりは、私が「今やめたらもったいないよ」と言い続けてやらせた感があります。カイトは素直に私の励ましを聞いて、頑張ってくれました。