注目を浴びた婚約会見から10数年後、離婚を選択したMiekoさん。4人の子どもと共にハワイ移住を決断しますが、英語もまったく話せないなかで当時の心境は── 。(全2回中の1回)
力士の妻として注目を浴びるも
── 学生時代に『Olive』(オリーブ)の読者モデルとして活躍。その後、JALのCAとして2年間勤務し、結婚を機に退職されました。お相手が相撲界の方ということで、とても注目された結婚だったかと思います。
Miekoさん:ちょうど若貴ブームで相撲界が盛り上がっていた時代でしたが、婚約会見ではたくさんのフラッシュを浴びて驚きました。会見場のドアを開けたら大勢の報道陣が待ち構えていて、何事か…?と思う間もなく次々に質問が飛んできて。私のことなのにそうじゃないような、不思議な感じでしたね。
── 日常生活にも影響が及んだそうですね。
Miekoさん:記者やカメラマンの方が実家に押しかけてきたり、私の卒業アルバムをどこかから探してきて手当たり次第、同級生に連絡したり、周りのご迷惑をおかけした方々にはどんなに頭を下げても足りないくらいです。それでも変わらず仲良くしてくれるお友達には感謝しています。
── しかし、結婚して4人のお子さんに恵まれた後、5年間の別居を経て離婚することに。
Miekoさん:相手がどんなお仕事をしていても、相手との信頼関係があればなんとかやっていけると思って飛び込んだ世界でしたが、残念ながらうまく関係を築くことができませんでした。本当は別居イコール離婚の気持ちでいましたが、私は結婚を機に仕事を辞めて収入もなかったですし、お相手も相撲を引退した後だったので、別居から離婚までの5年間は、お互い新生活への準備期間だったと思います。
離婚した当時、一番上の長男が小学6年生、長女は小学5年生、次女は小学3年生、一番下の三女が幼稚園の年長でした。子どもたちには「離婚しても今まで通りパパと会えるし、パパであることは変わらないから」と説明ましたが、「うん…」と言う子もいれば泣いてしまう子もいて、なんとも言えない気持ちになったことはとても覚えていますね。
── 離婚から2年後、2009年4月から家族でハワイに移住されましたが、なぜ海外で生活しようと思ったのでしょうか。
Miekoさん:離婚しても子どもたちには同じ環境で過ごさせてあげたいと思っていました。当時、4人とも私立の学校に通っていたのですが、養育費には学費が含まれていなかったので、なんとかしないといけないと悩んだ末に出した答えがハワイの移住でした。また、離婚後も何かあるとマスコミの方に追われていて、精神的にも疲れてしまって。周囲に頼れる人もいなかったので、日本を離れて穏やかな環境で過ごしたいと、次第に思うようになりました。
ハワイは両親と購入した別荘があったのが大きな理由です。ハワイでも私立に通わせたので、当時住んでいた家を売却したお金を学費にあてました。ハワイの別荘と日本の自宅、どちらかを残す選択をしたことが、ハワイの移住のきっかけになりました。
また、子どもたちには日本語だけでなく英語も話せるようになって欲しい。苦労するかもしれないけど、広い視野で物事が見られる人になってもらいたかったといった思いもありました。
── お子さんたちは、ハワイの移住に対してすぐに受け入れられましたか?
Miekoさん:子どもたちが大人になってからは「ハワイに行ってよかった」とは言われましたが、離婚したときに泣かれ、ハワイの移住が決まって学校でそれぞれお別れ会をしてもらったときに「友だちと離れたくない」と言って泣いている姿を見て、私の判断は正しかったのかと思うことはありましたが、同時に絶対に後悔させないようにしようと強く思ったことは覚えています。
ハワイにはほとんど知り合いも居なかったので、すべてが手探りの状態でした。
── 移住を決めて、どれくらいの期間、準備されましたか?
Miekoさん:1年くらいですね。家を片づけ、ビザの申請から各種証明書の取り寄せ、子どもたちの学校関連の準備…。犬も3匹飼っていたので検疫の手続きなど、やることがたくさんあったのであっという間でした。簡単に相談できる内容でもなかったので、誰にも頼まず全て1人で調べて進めました。
私が一日早くハワイに入り、翌日子どもたちを空港に迎えに行ったとき、無事にやり切った達成感と安心感で、ハワイの風が優しく迎えてくれたような気がしました。