ステージからテントに倒れ込み…
── 10年間状態観察をした後、2009年から新薬が開発されて治療がスタートしました。副作用も大変だったそうですね。
伍代さん:週1回の注射と飲み薬を併用する新たな治療法が出てきて、完治する可能性がかなり上がったと知り、治療に踏みきりました。ただ、副作用がすごくて。注射を打った日は39度の熱発。呼吸困難というより酸欠。めまい。その後も微熱がずっと続くんです。だからインタビューのときに「そうですね」って目をキョロっとさせただけでフラッとなることもありました。
よく覚えているのは真夏の野外ステージのとき。すべての曲を歌い終わってステージからはけたら、控えのテントに倒れ込んだんですよ。やっと終わった。着物脱がせてってやってるときに、「アンコール!アンコール!」って聞こえて。どうしようかなぁと思っていたら、歌が始まり急いでステージに戻り、もう汗ダラダラかきながらどうにか歌い終えて、またテントに戻ってきて倒れ込みました。
── 大変な思いをされて…。治療はどれくらいの期間続いたのでしょうか?
伍代さん:1年半ですね。特に最後の半年はメンタルまで影響しました。私、インフルエンザにかかったとき以外、友達との約束を反故にしたことないんですよ。頭痛なら頭痛薬を飲んで行くし。でもその時ばかりは何もしたくなかった。
12時30分に家を出れば約束の時間に間に合うんですが、12時10分になってもまだ化粧もしていない。今ならすっぴんで行くことになる。電話しようかなと思うけど、電話に手が届かない。どうしよう。最終的に「ほんと、ごめん…」って1回だけ。すごく悔しくて覚えています。
その後、2010年12月には治療が終了して今は完治しています。
── その後はしばらくお仕事に専念されていたかと思いますが、2021年に喉のジストニア(けいれん性発生障害)を発症されました。
伍代さん:いろいろな病院に行ってやっと診断がついて、ホッとしたというか。それまで「なんで喋れないんだろう。なんで声が出ないんだろう、滑舌が悪いんだろう、噛むんだろう、舌が痺れるんだろう」って思っていて。歌が急に下手になるんです。声が急に出なくなったり、声がひっくり返っちゃったりして、大恥かいて悩んでいたら診断名がつきました。今はだいぶ克服しつつありますが、まだ治療は続いています。たぶん、キャパオーバーがあったと思います。
── 忙しすぎたということでしょうか?
伍代さん:違う自分を演じ続けすぎたのかもしれないですね。もともと私は人前に出るのが嫌い。ひとりが好きで、孤独が好きで、空想が好き。頑張って頑張って自分を作り替えて、メンタル鍛えてじゃないけど、芸能活動してるじゃないですか。気持ちが強いと思っていたので自分でも意外な病気に罹ったなと思っているんですが。
──ジストニアを患ってからは生活も少し変化したそうですね。
伍代さん:犬を飼ったり、趣味の写真の時間を大事にしたり。夜は瞑想したりストレッチをしたり、ひとりの時間を大事にするようになりました。C型肝炎もジストニアもそうですが、なるべくネガティブなことを考えずに、自分がリラックスするように気持ちを持っていくようにしています。日々笑って過ごすことも大事ですね。
PROFILE 伍代夏子さん
1961年生まれ。1982年デビュー後1987年伍代夏子と改名し『戻り川』でデビュー。翌年同曲で第21回日本有線大賞、第21回全日本最優秀新人賞を同時に果たす。NHK紅白歌合戦の出場ほか、活躍中。1999年に杉良太郎と結婚し福祉活動も積極的に行なっている。5月に『いのちの砂時計』発売。
取材・文/松永怜 写真提供/伍代夏子