能登の震災で感じていること

── 夫婦でご多忙だと思いますが、災害が起きてすぐに行けるものなのでしょうか?

 

伍代さん:たぶん、長いことやっているからすぐ動けるんじゃないですかね。そうじゃないと行っても何をしていいかわからないし、向こうから「くるな」と言われるかもしれない。でも、私たちが行くことで一緒に連れてって言う人もたくさんいるし、何をすればいいか教えてって聞いてくる人もいます。そうして少しずつ輪が広がって、向こうもちょっと助かるっていうのであれば、行けばいいのかなと思います。

 

── 今年は元旦に能登半島の地震がありましたが、どの時点で現場に行こうと決めましたか?

 

伍代さん:地震が起きた時点から、これはちょっとすごいね。やらなくちゃね、となっているんです。でもまだ行けない。入れない。入ったら邪魔。行ったらわかりますが、被災地も忙しくて大変なんです。ボランティアに来た人が係の人にどこに行けばいいですか?と聞いても、現地でも対応している余裕がないんです。そういう段階のときは迷惑になるので様子を見る。行くとしたらタイミングを見て、寝袋や食べ物、飲み物、簡易トイレも持って、車で行くようにしています。

 

── 被災地の復興にはまだまだ課題が多いと思いますが、以前に比べてニュースや報道で被災地の状況を見る機会が減っている印象があります。

 

伍代さん:風化ですね。まだまだ行くべき。能登だけでなく、宮城や岩手、熊本とか。宮城はコロナ禍で4年行けていなくて。やっぱりもう来ないんだなぁって思われているとしたらツラいですが。継続って大変なことだけど、大事なことですよね。

 

能登は、今は炊き出しが終わってお弁当ばっかりになっている時期かもしれない。お弁当も飽きちゃうんですよ。今なら焼きそばやラーメンとか作ってあげると喜ばれる。本当は1か月に1回、「今月は誰々行ってらっしゃい」って仲間内で回せればいいと思うんですそのための基金を立ち上げようという話も出ていますが、そのお金が使えるようになるまで、今どうするかですね。

 

── 能登の震災後、常盤貴子さんから福祉活動について相談されたそうですね。

 

伍代さん:「ひとりで行くのにどうしたらいいか分からないからアドバイスください」と言われたので電話しました。その後、実際に彼女が足を運んだ後にみんなでご飯食べながら報告会やって、ここはこうだった、ああだって言って。仲間由紀恵さんや高島礼子さんも心を向こうに寄せていて、行きたいって言ってますね。女優軍団で何ができるか、そういう話し合いの食事会をこの前開きました。まだまだ課題はたくさんあると思っています。

 

PROFILE 伍代夏子さん

1961年生まれ。1982年デビュー後1987年伍代夏子と改名し『戻り川』でデビュー。翌年同曲で第21回日本有線大賞、第21回全日本最優秀新人賞を同時に果たす。NHK紅白歌合戦の出場ほか、活躍中。1999年に杉良太郎と結婚し福祉活動も積極的に行なっている。5月に『いのちの砂時計』発売。

 

取材・文/松永怜 写真提供/伍代夏子