子どもの頃は家庭の経済事情が苦しかったと語るアンミカさん。中学時代に新聞配達を始めますが、勉強や部活と多忙に過ごす中、どのように気持ちを保っていたのでしょうか。(全5回中の2回)

5分遅れたせいで、朝の会議についていけなかった

── 中学生の頃、新聞配達をされていた時期があったそうですね。

 

アン ミカさん:兄が先に新聞配達をしていて。私はそろばんを習いたかったけど毎月2,000円かかると聞いて、そのお金を稼ぐためにはじめました。そもそも、お金がなくてできないと思っていることが多過ぎたんです。友達のお誕生日会もプレゼントを買うお金が無いからいけないとか。給食費を払えなくてみんなの前で恥ずかしい思いをするとか。自分で稼げるようになったら自由にお金が使えるし、お金がないからって言い訳をせずに済むと思ったんです。

 

── 新聞配達は、朝は何時からスタートしていましたか?

 

アン ミカさん:新聞配達を始めた当初は朝5時からスタートしましたが、週に1回とか月に数回広告を入れる日があって、その日は朝3時くらいから始めていました。歩合制だったので、配達所の人がおまけしてシフトを入れてくれるんですよ。

 

新人だったので、配達所から一番遠いマンションまで自転車で新聞を斜め掛けにして配って、人がたくさん住んでいるジャンボマンションはポストが1箇所だから助かるんです。部屋番号を覚えておけば、上から順に入れていくだけ。はじめは80部くらいから始めて、仕事に慣れていくと、今度は200部ね、300部ね、と増えて、どんどん民家も配れるようになっていきました。

 

配達が終わるのにだいたい40分くらいかかりましたが、早起きする家や商売をしている家もあるし、朝5時半や6時半だと家を出てしまう人もいるんです。「うちは毎日この時間がいい」とかオーダーもあって、配達時間が遅れるとクレームも来ます。相手も中学生の女の子が配ってるって知らないですし、「5分届くのが遅れたせいで、朝の会議についていけなかった。どうしてくれるんだ」と怒られることもしばしばで。当時は携帯がない時代でしたし、社会勉強も兼ねて学ぶことが多かったですね。

 

── ただ、天候に左右されることがありそうです。

 

アン ミカさん:雨の日、雪の日はかなりハードで危ないんですよ。自転車に乗っていて何度も転んだこともあるし、サドルを拭いてもすぐにぬれてしまう。雨の日って新聞をビニールに包んで一個一個ポストに入れていくのですが、手がぬれているからどうしても新聞が濡れてしまうことがあり、「新聞がぬれている」とクレームがきたこともありました。それでも皆勤賞で行けた時は、新聞屋さんがその都度励ましの言葉をかけてくれたりして、配達所の方にはすごく助けていただきました。