宝塚歌劇団を退団し、実家が経営する赤城フーズ株式会社を継ぐ決意をした遠山昌子さん(44歳)。ところが、入社当初は社員とうまくコミュニケーションがとれず、ひややかな目で迎えられたといいます。(全2回中の2回)

入社日の朝礼で「社員のひややかな目」に最初は…

── 2005年4月3日に宝塚歌劇団を退団し、すぐに赤城フーズ株式会社に入社したそうですね。

 

遠山さん:そうなんです。これまでずっと舞台に立っていて、一般的な会社のことを何も知りませんでした。だから少しでも早く会社に入って勉強しなければ!と思い、2週間後には入社しました。

 

私としては「赤城フーズがなくならないように、早く役に立てるようにならなくちゃ」と必死の思いでした。でも、入社日の朝礼で挨拶をすると、ものすごく冷ややかな空気が流れていて…。あの空気感はいまでもよく覚えています。

 

── それは出鼻をくじかれますね…。原因はなんだったのでしょう?

 

遠山さん:コミュニケーションがたりなかったからです。中途半端な思いではないこと、どんな思いでこの会社に入るのかをしっかり伝える大切さを、当時の私は知りませんでした。

 

社員さんたちからすると、「歌と踊りしか知らない子が何をしに来たの?結婚までの腰かけのつもり?」と思っていたみたいです。

 

入社後、一生懸命やろうとすると誤解されてしまうことも多々あり、「どうしてわかってもらえないんだろう?」と悩む日々でした。でも、私がみんなに思いを伝えてないから、誤解が生じるのも当たり前ですよね。

 

入社当時、社内に教育の仕組みが整っていなくて、昔ながらの会社によくある「見て覚えろ」という感じでした。最初1週間は指示があったのですが、翌週から何も言われなくなってしまって…。とにかく会社のことを覚えようと思って、自社の商品をいろいろ見たり、必要と思えるセミナーや勉強会を手あたり次第、受講したりしていました。

 

それでも、自分のなかに「一般的な会社像」がないから、何が正しいのか判断できないし、具体的に何をしたらいいのかさえイメージできませんでした。

 

── 宝塚歌劇団と一般的な企業はまったく違う世界ですから、新天地でとまどうのも当然だと思います。

 

遠山さん:入社後に知ったのですが、私の父をはじめ、ほかの漬物業界の後継者の方たちも、取引のある別会社で修行してから、自社に入社することが多いそうで。

 

その話を聞いて、私もどこかで修行してから入社するか、大学で勉強してからのほうがよかったのかと思いました。でも、すでに入社していますから、そういうわけにもいきません。

 

子どものころは妹(写真右)と一緒に会社の社員旅行にも連れていってもらった

ちょっとしたことでも赤城フーズのやり方が適切なのか、もっといい方法があるのかわからなくて。宝塚の経験を当てはめてよいのかもわかりません。

 

たとえば、「報連相」でも、宝塚では何かあれば即座に同期全員で共有します。そして必要があれば一学年上の先輩にもすぐ報告します。それが全学年で行われるので、連絡漏れがありません。私にとってはそれが当たり前でしたが、その方法を一般の会社に当てはめていいのかもわかりませんでした。

 

いまの私でも学べる場所がどこかにないかと悩んでいたときに、働きながら学べる通信制の大学があると教えてもらい、調べてみたら産業能率大学通信教育課程経営コースが、まさに私の知りたかった会社経営に必要なことが学べる授業でした。即入学を決めて、入社2年目の2006年4月から学び始めました。

働きながら大学と育児…濃厚な9年間を経て社長へ

── 働きながら勉強するのは大変だったのではないでしょうか?

 

遠山さん:大変でしたが、一緒に勉強する仲間がいたので心強かったです。通信制の大学でしたが、入学したときに「学生会」という、それぞれの地域で学ぶ人が集まる会に入ったんです。

 

私が大学に入学したのは26歳のとき。ふつうより遅い気がしていましたが、周囲にはさまざまな年齢の人がいました。勉強はいくつになってもできるんだと思いました。しかも私は、大学在学中に結婚、妊娠、出産も経験しています。

 

仕事と結婚、妊娠、出産のかたわら経営学を学び直した大学も晴れて卒業

── なんと!ご主人との出会いのきっかけはなんだったのでしょうか?

 

遠山さん:宝塚歌劇団時代の先輩が招待してくれた結婚式の2次会で知り合いました。その後、夫が「(私のことを)紹介してほしい」と言ったらしいんです。

 

先輩は事前に「彼女は実家の会社を継ぐために宝塚歌劇団を辞めた。もし結婚したとしても、地元から離れられない子だよ」と事情を伝えてくれていました。

 

彼もそれでもいいと言ってくれたので、とんとん拍子に話が進みました。出会ったときから遠距離で結婚後のいまも夫は東京、私は前橋市に住んでいます。ずっと離れて暮らしているから、それが私たちにとっては当たり前の生活です。

 

2009年10月に第一子が生まれました。大学4年生のときで、目標通り4年で卒業するためには、産後に東京で2日間のスクーリングの授業を受けなければなりませんでした。生後数か月の娘を連れて東京に行き、日中は義母にお世話をお願いして、夜は自分がめんどうをみました。たくさんの人に協力してもらい、卒業することができました。

 

卒業後、さらに学びの場所を求めていたところ、中小企業の経営者が集まる「中小企業家同友会」に出会い、先輩経営者の皆さんの教えを得ながら、自社の経営指針をつくり上げることができました。

 

その間、少しずつ私の会社への姿勢が社員さんにも伝わってきて、社員さんといい関係が築けるようになってきました。

 

── 2018年、赤城フーズ株式会社の6代目代表取締役社長に就任されました。

 

遠山さん:経営者として毎日忙しく過ごしています。直販店でカリカリ梅を試食したお客様が「こんなおいしいカリカリ梅、はじめて食べた!」と笑顔になってくださる姿を見て、「私たちの仕事は、おいしいカリカリ梅を作って、お客様に笑顔になっていただくことなんだな」と思いました。

 

社員さんもお客様も仕入れ先の方々も、赤城フーズに関わるみんなが笑顔になるように…と、「笑顔の伝承」を経営理念にしています。

 

そして、私は経営者であると同時に、ふたりの娘の母親でもあります。私にとっては、会社も娘たちもどちらも大切でかけがえのない存在です。娘たちに「ママは私たちより会社が大事なんだ」と思われないように、小さなころから1日に何回も「かわいいね」「大好きだよ」と愛情を伝えるようにしてきました。

 

叱るときに男役時代のような力強い声になって子どもに怖がられるときもありますが(笑)、私の愛はたっぷり伝えてあるので、私のことを信頼してくれていると感じます。

 

思春期を迎えた娘たちが、自分の好きなことを見つけたときに私がそうしてもらったように全力で応援できる母親でいたいです。

 

PROFILE 遠山昌子さん

群馬県前橋市生まれ。2000年、宝塚歌劇団に男役「遥海おおら」として入団。2005年、宝塚歌劇団を退団し、赤城フーズ株式会社に入社。2008年に結婚し、2児の母に。2018年2月、6代目として代表取締役社長に就任。

 

取材・文/齋田多恵 写真提供/遠山昌子