楽しんでプレーする気にはなれなかった

── そのときから大きな覚悟をもって卓球に取り組んでいたんですね。

 

平野さん:ただ、中学3年間でも日本一には届きませんでした。同世代は才能のあるプレイヤーが多くて。私にはそういうのがないうえ、技の習得にも時間がかかるし、勝負所で勝ちきれない。努力はするし、選手として悪いわけではないのに勝ちきれないのはなぜなんだろうと、周囲と比べて器用にできない自分を惨めに感じてしまうことも多かったです。

 

── そのなかで、日本一という目標に向けてどのように自分を鼓舞していたのでしょうか?

 

平野さん:才能のある選手たちと自分を比べると、自分のよくないところばかりが見えてモチベーションを維持するのは難しいので、周りと比べることをやめました。

 

その代わり、昨日の自分と比べることに。昨日の自分より少しでも何か上達しよう、頑張ろうという気持ちで。徐々に実力もついてきて、高校1年生でやっと全日本選手権ジュニアの部で日本一になり、それがきっかけで世界選手権にも選ばれて世界を目指し始めました。

 

── 現役時代の練習量もかなり豊富だったとか。

 

平野さん:特に高校を卒業してから所属したミキハウス時代は、規定練習が1日約6時間、自主練習では日付が変わることも。休みの日に遊びに行くとかどれくらいしたのかな。休みの日の翌日も練習のため、カラダのケアをするとか、早く寝るとかそういうことばかり。とにかく自分で自分を追い込んでいました。私オンとオフの切り替えが苦手で常にオンの状態だったんですよね。

 

あと、今の子たちは「楽しくプレーする」ってよく言いますが、自分の卓球人生を振り返ると楽しんでプレーする気持ちにはなれませんでした。毎回毎回人生をかけた勝負という気持ちが強かったです。もし楽しむぐらいの余裕があったらもっといい成績になっていたのかなって思ったりもしますが、私の性格からして追い込むやり方だったからこそ成績が出たのかも。