「私だからできる仕事ではないな」個性に悩んだ20代
── 忙しい毎日ですね。
岡田さん:そうですね。ただ、20歳を過ぎたころ、大好きな仕事ではあったんですが「私が体調を崩して休んだとしても誰も困らないな」と感じるようになったんです。私だからこそできる仕事ではないような気がして…。
周りにはキレイで、演技ができて、歌やダンスがうまい子がたくさんいました。でも、私は歌やダンスや演技が特別得意ではないから「これでは仕事を続けていけないな」と悩んでいて。それで、これからどうしたらいいか、デビュー時からつき合いのある構成作家さんに相談したんですね。
その構成作家さんから「どんなことがしたいの?」と聞かれたときに、私はすでにある番組を挙げて「こういう番組に出たいんです」と伝えました。そのときに「この番組はもう出演している人がいるから、君が必要なわけじゃないよね。その番組に出て、君は誰に何を伝えたいの?」と聞かれて、固まってしまったんです。
ただ「有名になりたい」「その番組が好き」というだけで出たかったんだ、と気がついて。そこからは「私は何を表現したいんだろう」と真剣に考えるようになりました。
── そこで“ねんど”に行き着いたんですね。
岡田さん:そうですね。もともと母がものづくりが得意だったので、真似をして小学生くらいから紙ねんどで作品を作ったりしていました。それを高校生になっても続けていて、ときどきドールハウスやミニチュア作品を作っていたんです。それを人に見せたらすごく喜んでくれて、「もっと見たい」と言ってもらえて。
そこで「もしかして私はねんどが得意なのかな」と気づきました。そのことを先ほどの構成作家さんに相談したら「面白い」と言ってもらえて。そこから1年間、ねんど作品をたくさん作ったり、自分の気持ちや考えをまとめたりしながら、2002年11月7日、22歳の誕生日に「ねんドルになります」とホームページで発表したのがスタートです。
── 当時は10代のアイドルも多かったと思います。
岡田さん:そうですね。まわりには15歳ぐらいの子もいて「22歳はスタートとしては少し遅いかな」と思っていました。ただ、自分は既存の番組に出たいわけじゃなく、仕事を作り出そうと思っていたので、そこまで気にしていませんでした。
そこからは自分で「こんな衣装を着たいな」と考えたり。ねんどで食べ物を作るのが得意なので、最初は既製服を組み合わせて、コックさんの服にスカートを合わせて「ミニチュアのコックさん」というイメージでスタートしました。
最初は個展をやったんですが、ラジオ番組でMCの方が大きなリアクションで視聴者の想像力をかき立ててくださって。「そんな小さなお寿司、見てみたい!」と、まったく知名度はないのに、初めての個展にはギャラリーの記録を塗り替えるぐらいお客さまが来てくださったんです。
アーティストといえば作品を売るのが普通だと思うんですが、私は作品を売るという感覚があまりなくて、上手にできたら手放したくなかったんです。それで「作る楽しさを広げたいな」と思うようになり、ねんど教室を始めました。
子どもを預かる責任感から教育学を学び直し
── キャリアのなかで挫折を感じたことはありますか?
岡田さん:ねんドルになってからは、ずっと幸せで「つらいな」と思ったことはないんです。ただ「もっとよくしたい」と悩んだり勉強したりしたことはあります。
ねんど教室を始めたときは、子どもたちを預かる責任の重い仕事だなと思って、そこから大学で教育学を学び直したりしました。今でも子どもに接するときはすごく緊張します。なにげないひと言が大きな影響を与えてしまうことがあると思うので、できる勉強や準備はしておきたいな、と思っています。
コロナ禍でイベントが中止になり、子どもたちと会えなくなってしまったときが一番つらかったですね。マスクをお互いにして「1m以上距離をとる」みたいなルールで。
今はハイタッチもできるようになってきたんですけど、当時は小さなお子さんが抱き着いてくれようとするのを、お母さんが一生懸命止めて、お子さんが「なんでダメなの?」と泣き出してしまったり…。本当に切なかったです。どうやったらもっと子どもたちに心を近づけることができるか、日々悩んでいました。
PROFILE 岡田ひとみさん
1980年生まれ。ねんど職人+アイドル=ねんドルとして、日本や海外で子ども向けのねんど教室を開催。Eテレで放送中の『ニャンちゅう!宇宙!放送チュー!』で「おねんどお姉さんひとみ」「コネル」としてレギュラー出演し、今年で12年目。
取材・文/市岡ひかり 写真提供/株式会社チーズ