63歳で初の個展を開いて画家としてデビュー。以降10年間、年に2〜3回、個展を開催している浅野順子さん。長男のKUJUNさんは、現在音楽家として活躍されており、次男は、俳優の浅野忠信さんです。そんな浅野さんの半生を一編として収録した『人生後半のひとり暮らしを穏やかに楽しむ』が話題に。画家をめざすきっかけや現在の活動についてお聞きしました。
子育てもバー経営も画家も。自分らしく愛をもってかかわる
浅野さんは横浜で生まれ育ち、1960 年代以降は米兵らが集うバーやナイトクラブで、ファッションや音楽、ダンスといったあらゆるカルチャーを体感。地元の友人だったタレントのキャシー中島さん、モデルの山口小夜子さんらとともに、当時の横浜カルチャーを牽引していた「クレオパトラ党」のメンバーとして一目置かれる存在でした。
その後、若くしてお子さんを授かった浅野さんは、子育てに追われながらも、米軍のフリーマーケットで見つけた洋服をリメイクしたり、フリマを主催したり。どんなシーンでも自分らしさを忘れないのが浅野さん流です。小さな息子たちに古着のリメイクアイテムを着せたり、ジーンズにヘソ出しのチビTシャツを着て授業参観に参加したなど、ほほえましいエピソードもたくさんあります。
もちろん、家族に愛情をたっぷり注ぎ、悪いことはきちんとしかり、うれしいことは全力で一緒に喜び、息子たちのことで父親と朝まで激論を繰り返すこともしばしば。他人であっても、困っている人を見るとほうってはおけず、思わず声をかけてしまう…。浅野さんは母性の塊のような人なのです。
10年後の自分を思い描いて「いくつになってもなりたい自分になれる」
自由を愛する浅野さんですが、実はとっても現実的。中学生の頃から、10年先のビジョンを描きながら、人生を積み重ねてきました。
「世の中の流れってだいたい10年サイクルでしょう? 80年代、90年代って区切るみたいに。人生って一生で考えると思いどおりにならないことのほうが多いけど、10年単位なら自分の意識や行動でなんとかできる。これまで、節目ごとに10年先はこうなっていたいと思い描いてきたけど、だいたいそのとおりになっているかな」
結婚して23年、40代に入って子育てを終えた頃、これからの10年を考えた浅野さんは、「そろそろかな」と、家族のもとから飛び立ちました。年齢的には活動的な時期。「やりたいことがいっぱいある」と横浜から東京へ移り住み、バーや古着屋を始めます。
「バーとか古着屋とかお店をいろいろやるんだけど、それなりに流行っていても私が飽きっぽいから3年くらいしか続かない。時間が決まっていたり拘束されるのがダメだし、お金を数えるのも苦手。やっぱり経営には向かないと分かって、お店は譲りました。楽しかったけどね」
その後、50代に入って落ち着いた頃、母親の介護のために現在暮らすマンションを購入。母親との暮らしに専念して数年後、母親を見送りました。
60歳で出会った芸術家との恋「絵を本格的に描くことを勧められ」
60歳を迎えて人生が熟してきた頃、出会ったのが、ある芸術家。浅野さんが画家になるきっかけを作った人です。
「60歳で恋をしましたね。ミステリアスで佇まいが美しくて、ずっと見ていたい感じの人。彼に本格的に絵を描くことを勧められて、キャンバスに向かうようになったんです。このマンションで10年間一緒に暮らして、彼が地元に戻ることになったタイミングでお別れしましたが、本当に感謝しかない。彼に出会っていなかったら趣味でつまんない絵を描いていたと思うし、夢中になれることを見つけられていなかったかも。いい出会いでしたね」
バー、古着屋、洋服のリメイクと、さまざまな経験を経てたどり着いた、自分らしい、いちばんの楽しみが絵を描くことでした。
ひとりに戻ってからも、浅野さんの創作活動は途切れることなく、ごはんを食べ、掃除や洗濯をするように、今では生活の一部となって続いています。むしろ、自然発生的で溢れ出るように。
好きが詰まったアトリエが棲家「いくつになっても描けるなぁ」
「これまでの経験とか培ってきたものとかを絵にしているから、とめどない。今でもいろいろ吸収していて、それも絵にできる。いくつになっても描けるなぁって思いますね」
アトリエを兼ねた住まいは、ちょこちょこ手を加えて今の空間に。母親の介護をしていたときは、窓には障子があってキッチン台はロイヤルホスト風の鮮やかなオレンジ色、床は土足禁止の明るくて落ち着いた空間でしたが、それから壁をピンクや白、ブルー、ペパーミントと何度も塗り替え、室内も土足で生活できるようにしています。
よく見ると壁にも床にも絵の具が飛び散った跡があり、いろんな色が重なった絵の具の層がアートピースのようで、部屋の雰囲気をおしゃれに演出。
「筆を振るように描くから、絵の具が飛び散っちゃうの。だからカーテンも外して、今は布を垂らしているだけ。すぐに汚れちゃうから大変なのよ」
好きなときに好きなだけ絵を描ける今の環境が大事
1日の暮らしは朝5時に起床し、散歩しながら近くの公園へ向かうことから始まります。ラジオ体操に参加して体を動かし、朝ごはん。帰りにファミレスで朝定食を食べたり、自宅で簡単なものを作って食べたり、気ままに済ませています。そのあとは、もっぱら創作タイム。
「描き始めると集中しちゃうから、気づくと日が沈んでいることもしばしば。でも、暗くなってからのほうが筆が動くので気にならない。夜の9時くらいに一度寝ても、夜中にパッと起きて描くこともあります」
晩ごはんは、おなかがすいたタイミングで。近所の喫茶店でさっと済ませたり、作り置いたスープを食べたり。食事の時間も食べるものも、そのときの気分で。自分の思いどおりに過ごせる今の暮らしを、浅野さんはとても気に入っています。
「自由な時間は人がくれるものではないし、努力で作るものでもない。自分の意識で作るものだと思うの。ときには嘘も方便だし、自分でコントロールしないと生まれないのよ。個展が決まっていると締め切りがあって大変だけど、自分の空間で自分のペースで描けるから全然苦じゃないの。好きなことだしね。だからこの先パートナーができたとしても、一緒に暮らすことはないかな。今の生活スタイルを変えたくないし、この空間でまだまだやりたいこともあるからね」
これからは10年先より今を考えて楽しむ
これまで10年先の自分を思い描いて人生を積み重ねてきた浅野さんですが、70代に入ってから人生との向き合い方に少しだけ変化がありました。
「今から10年先は80代。もちろん絵を描いていたいとは思うけど、未知の世界よね。この年になると1年先がどうなるか分からないから、今を考える時期に入ってきたかなって感じています」
絵を描くことで心が満たされて日々幸せを感じている浅野さんは、この楽しさを子どもたちと分かち合いたいと子ども向けの絵画教室を計画中です。
「本格的に絵を始めて10年、いちばんの変化はきれいな丸とまっすぐな線が描けるようになったこと。それまでは、どこか躊躇していたのか、線がゆがんだり丸がいびつになったりしてたけど、今では迷いなくスッと引ける。それが10年間やってきた成果かな。私は絵を学校で学んでいないから、基本を知らない。でも、きれいな丸と線を描ければ誰でも絵は描けると実感したの」
自分だけのアトリエを好きなことを共有する場所へ。そのために、まずは断捨離から。
「スッキリさせると壁や床もキャンバスになるから、子どもたちと一緒に遊びながら塗り直せる。想像するだけでワクワクするね」
PROFILE 浅野順子さん
画家。1950年生まれ。日本人とスウェーデン人の両親を持つ。60歳を過ぎてから独学で絵画を描き始め、多才なアーティストとして注目を集める。長男は音楽家のKUJUNさん。次男は俳優の浅野忠信さん。浅野さんの半生も一編に収録された『人生後半のひとり暮らしを穏やかに楽しむ』(主婦と生活社)が好評発売中。
取材/岩越千帆(smile editors) 撮影/鈴木真貴